久保田智之の現在と現役時の成績と年俸は?シーズン最多登板数が日本一って本当?【プロ野球】




2020年度のプロ野球もいよいよ終盤に向けて、各球団での熱い戦いが連日開催されていますね。

今シーズンはいつもと違って、開幕から今日まで何とかやってこれたような展開になっています。

新型コロナウイルスによる感染という、非常に厄介な社会現象で、スポーツ界にも大きな影響を受けましたね。

そんな状況ではありますが、プロ野球ファンはいつも熱い声援を送って試合を楽しんでいます。

ここからは阪神タイガースにその名を残した、「JFKのトリオ」の一角を占める久保田智之にスポットを当て、現在の仕事や現役時の成績と年俸、日本一の記録を持っていることなど、興味ぶかい情報をお伝えしたいと思います。

暑さが続いていますが、しばらくの間、冷たい飲み物などでのどを潤しながら、ご覧ください。

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久保田智之の現在と現役時の成績と年俸は?

 

 

それでは早速ですが、久保田智之のプロフィールと経歴を見ていきたいと思います。

久保田智之(くぼた ともゆき)は、1981年(昭和56年)1月30日生まれで39歳です。

埼玉県比企郡吉見町の出身で、身長は181㎝、体重は95kg、元プロ野球阪神タイガースの選手で、右投げ右打ちで投手を務めました。

野球を始めたのは小学3年生の時でした。

小学5年生の秋から新チームでレギュラーに入り、5番で捕手を務めていました。

高校は埼玉県立滑川総合高等学校へ進みました。

理由としては自分でも活躍ができるだろうとのことです。

最初は捕手をしていましたが、監督に投手をしてみたいと申し出た時、「エースと違う投げ方をするなら試合で使ってやる」と言われました。

そして監督が練習中にトルネード投法で投げていたのを久保田は見ていたので、それをまねて投げるようになりました。

尚、この時はあの野茂英雄投手の投げ方を参考にしたことはなかったそうです。

そして1998年(平成10年)、高校3年生の時に正捕手で4番打者、2番手の投手として第80回全国高等学校野球選手権大会に、同校初の出場を果たしました。

 

 

1回戦では鳥取県代表の境高等学校と戦い、7回にリリーフで登板、トルネード投法を披露しました。

翌日のスポーツ新聞では「滑川の大魔神」「トルネード久保田」との見出しが付けられました。

3回戦では、後に同じチームの同僚となる久保康友を擁する関西大学第一高等学校と戦いましたが、惜しくも敗れました。

結局甲子園では3試合で6イニングを投げて、無失点に抑えています。

高校を卒業後、常磐大学人間科学部コミュニケーション学科に進学、関甲新学生野球連盟所属の常磐大学硬式野球部に所属しました。

3年生の時には東海大学との練習試合で、球速153km/hを計測すると、プロのスカウト陣から注目されるようになりました。

2002年春には巨人軍のキャンプに招待選手として参加をしています。

大学時代は同期である小野寺力と共に活躍をしましたが、リーグ戦での優勝はありませんでした。

同年秋に行われたプロ野球ドラフト会議では、阪神タイガースから5巡目で指名されました。

その結果阪神への入団が決まりその後の会見では「自分は昔から阪神ファンでした。ユニフォームを着られることが本当にうれしいです」と語っています。

一方、入団直後に行われた新人合同自主トレには、体重過多で臨んだため、いきなり80万円の罰金を科されました。

「活躍して倍以上にして取り返してやる」と誓ったそうです。

阪神に入団後の2003年5月11日、プロ入り初登板を成し遂げました。

5月24日にはヤクルト戦でそれまでの球団最速記録である、福原忍投手の球速を超える156km/hを計測しています。

6月1日には巨人戦でプロ初先発をし、以降は先発と中継ぎを兼任しました。

このシーズンは26試合に登板し5勝5敗の成績で、防御率は3.12の好成績を挙げています。

この年の阪神はセ・リーグの優勝を決めていますが、久保田投手は直前で故障した結果、日本シリーズには登板できませんでした。

2004年には開幕当初は先発で起用されましたが、再度故障してしまいました。

復帰後、中継ぎで好投していましたが、ジェフ・ウィリアムスと安藤優也がアテネ五輪の代表に招集されたことで、またジェロッド・リガンも故障離脱をしたため、抑え投手に転向しました。

同年10月には看護師の女性と結婚、翌年の9月には長女が誕生しました。

そして翌2005年にはあの伝説がついに生まれます。

ジェフ・ウィリアムスと藤川球児と共に『JFK』と呼ばれるリリーフトリオを形成したのです。

 

 

 

この年から開始されたセ・パ交流戦では、5月18日の西武ライオンズ戦でシーズン5セーブ目を記録しました。

阪神がセ・リーグで優勝を決めた9月29日の巨人戦では、見事に胴上げ投手になっています。

結局この年は5勝4敗27セーブを記録、防御率は2.12という高成績を挙げ、日本シリーズでは1試合に登板し、打者4人に対して1安打無失点に抑える活躍をしています。

素晴らしい活躍だと思いますね。

2007年からは藤川球児が抑えに回りました。

久保田智之はセットアッパーとして起用されています。

阪神は先発投手陣の不振ということもあって、久保田投手はシーズンを通してフル回転、90試合に登板し、シーズン最多登板数のNPB記録を更新しました。

防御率は1.75、シーズン46ホールドもNPB記録となっています。

日本新記録となる55ホールドポイントを樹立しています。

この記録はすごいことで、恐らくこれを上回る投手は出てこないのではないかと思います。

初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手賞も獲得しています。

そしてオールスターゲームにも監督推薦で初めて出場、7月20日の第1戦で登板、1回を三者凡退に抑え、見事に勝利投手になりました。

この年をピークに翌年からは成績もダウンしてしまいました。

そして2014年2月には右ひじを手術しました。

その影響で一軍での登板はありませんでした。

その後も回復せず9月には現役引退を決断、10月3日に引退を発表しました。

引退で同僚の選手たちから胴上げされる久保田智之選手です。

 

 

現役を引退後、球団職員として阪神に引き続き在籍しました。

2015年から2年間は、二軍で打撃投手を務めています。

2017年からは球団本部へ異動し、現在は関東地区担当のプロスカウトとして人材の発掘に寄与しています。

 

 

以上、ここまでは久保田智之のプロフィールと経歴をお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか。

阪神ファンはもちろんのこと、そうでない野球ファンでも、「JFKトリオ」の名前は覚えていらっしゃると思います。

輝かしい活躍ぶりは今も目に焼き付いています。

これからはスカウトとして大いに活躍をしてほしいと思っています。

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久保田智之の成績と年俸推移

ここからは久保田智之投手の成績と年俸について年ごとに見ていきたいと思います。

2003年 登板26 先発10 5勝5敗 セーブ0 ホールド0 投球回数89.1 奪三振100 失点35 自責点31 防御率3.12

2004年 登板28 先発6 4勝4敗 セーブ4 ホールド0 投球回数69.0 奪三振69 失点33 自責点31 防御率4.04

2005年 登板68 先発0 5勝4敗 セーブ27 ホールド3 投球回数80.2 奪三振97 失点20 自責点19 防御率2.12

2006年 登板47 先発0 5勝7敗 セーブ16 ホールド2 投球回数50.0 奪三振57 失点26 自責点22 防御率3.96

 

 

2007年 登板90 先発0 9勝3敗 セーブ0 ホールド46 投球回数108.0 奪三振101 失点26 自責点21 防御率1.75

2008年 登板69 先発0 6勝3敗 セーブ0 ホールド31 投球回数85.1 奪三振75 失点34 自責点30 防御率3.16

2009年 登板1 先発1 0勝1敗 セーブ0 ホールド0 投球回数2.1 奪三振3 失点4 自責点4 防御率15.43

2010年 登板71 先発0 6勝3敗 セーブ0 ホールド28 投球回数81.2 奪三振68 失点37 自責点29 防御率3.20

2011年 登板23 先発0 1勝2敗 セーブ0 ホールド6 投球回数21.2 奪三振26 失点13 自責点13 防御率5.40

2012年 登板4 先発0 0勝0敗 セーブ0 ホールド0 投球回数3.0 奪三振2 失点2 自責点2 防御率6.00

2013年 登板17 先発0 0勝2敗 セーブ0 ホールド1 投球回数21.0 奪三振14 失点15 自責点13 防御率5.57

以上のような成績を収めています。

こうして見てみますと2007年と2008年には、ものすごい数の登板をしていたことがよく分かりますね。

それでは年俸額の推移を見ていきましょう。(金額はいずれも推定です)

2002年 契約金 7000万円

2003年 年俸 1300万円

2004年 年俸 2600万円(+1300万円)

2005年 年俸 3200万円(+600万円)

2006年 年俸 6200万円(+3000万円)

2007年 年俸 5500万円(-700万円)

2008年 年俸 1億2000万円(+6500万円)

2009年 年俸 1億1000万円(-1000万円)

2010年 年俸 7700万円(-3300万円)

2011年 年俸 1億円(∔2300万円)

2012年 年俸 8000万円(-2000万円)

2013年 年俸 5800万円(-2200万円)

2014年 年俸 3800万円(-2000万円)

以上、久保田智之選手のこれまで獲得した年俸額の推移をご覧いただきました。

これを見ていますと、かなりのアップダウンがあったことがよく分かります。

やはりけがや成績不振などによる影響が、大きかったものと思われます。

先程もお伝えしましたが、これからも阪神球団のスカウトとして大いに若い貴重な人材を、チームに引き入れてより活気のある球団づくりに貢献して欲しいと思います。

 

 

昨日は「JFKトリオ」として一緒に活躍をし、今も現役で活躍をしている「F」こと藤川球児選手が、今季限りで引退することを表明、記者会見を行ったというニュースが流れました。

抑えのエースとして日の出るような直球で相手打者をきりきり舞いさせてきた藤川投手ですので、まだ活躍をしてほしかっただけに、とても残念な気がします。

やはりどのような素晴らしい選手であっても、いつの日か辞めるときが来ることを改めて知らされた思いです。

素晴らしい選手でしたので、その投球の熱い姿はいつまでも私たちの胸に残っていますし、これからも決して忘れないと思います。

久保田さんも藤川球児さんの引退について、次のようにコメントを残しています。

 

 

「まだ2ヶ月半あるけれども、まずは長い間お疲れ様でしたという思いです。まだ細かい話はできていませんが、『あと2ヶ月半、最後まで頑張ってほしい』ということは伝えました」

「野球に対しての姿勢、意識、実力全ての面で尊敬していましたし、追いつけそうで追いつけない。タイプは違いますが同じ時代に近くで一緒にプレーしていて、尊敬できる部分がたくさんありました」

「阪神の歴史の中で『JFK』と呼ばれる名前の残るものを、一緒に築くことができたことは誇りに思います。球児がいてジェフがいてくれたからこそのもので、本当に感謝しています」と熱く語っていました。

 

 

実に素晴らしい言葉だと思いますね。

これで増々阪神ファンも増えるのではないかと思います。

皆さんで阪神タイガースを応援しましょう。

ガンバレ、阪神タイガース! 藤川球児、今日までありがとう! JFKトリオの皆さん、お疲れ様でした!



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