吉田 愛の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【セーリング】




東京で開催されるオリンピックとパラリンピックですが、世界中に新型コロナウイルスによる感染が広がっているため、開催予定であった2020年から1年間延期となってしまいました。

これは戦争などによること以外では、史上初となる出来事です。

今は各国で何とか感染を止めようとのことで、必死にいろいろな手を打っていますが、なかなか止まりません。

このままいつまで続くのかが分からないだけに、関係者にも段々焦りの色が濃くなってきています。

一方世界中のアスリートたちも、この感染による影響で、各大会や練習する場所がないことなど困難な状況にあります。

選手にとってこれらができないことは、とても大きな問題だと思います。

果たしてどのように新型コロナウイルスが終息するか、一刻も早く終わってほしいとの思いが強くなっています。

そんな状況ではありますが、東京五輪へ向けて各競技では出場選手の選考が行われ、すでに内定している選手が出てきています。

ここからはセーリング女子日本代表に内定した吉田 愛について、どんな選手なのかを見ていきたいと思います。

最後までご覧ください。

Sponsored Link

吉田 愛の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、吉田 愛の経歴、プロフィールを見ていきたいと思います。

吉田 愛(よしだ あい)は、1980年(昭和55年)11月5日生まれで39歳です。

東京都八王子市の出身で、日本の女子セーリング選手です。

国立音楽大学附属高等学校を経て、日本大学へ進学、卒業後2013年からベネッセセーリングチームに所属しています。

その前にはアビームコンサルティング人事部に所属をしていました。

セーリングを始めたのは小学1年生の時でした。

そのきっかけは、ご両親に連れられて子供用のヨット「オプティミスト級」の1日体験に行ったとき、ヨットの面白さに惹かれたそうです。

そのオプティミスト級の大会ですが、吉田愛さんは小学2年生の時から出場しています。

その際感じたことは、海がすごく広いと感じたそうで、すぐに一人でも乗れるようになったそうです。

中学生まではバレーボールをしていましたが、高校へ入ってからは何か新しいことをしたいと思っていたので、たまたま高校にヨット部があったので入部したとのことです。

動機が面白いですね。

祖母が住んでいた家が京都県の京丹後市にありましたが、家から5分の所に海があって、小さいころから海が好きだったことも、ヨット部に入った理由の一つだそうです。

海と一体になってさっそうと水面をすすんで行くこと、エンジンもなく風だけで進むことも、魅力だったそうです。

アウトドア派だったといえますね。

吉田選手はセーリングについてこう語っています。

「自然を相手にするスポーツで、エンジンを使わないヨットで海を自由自在に走れるのが魅力ですね。競技となると風を読んだり波を読んだりと、頭で考えるスポーツです。自然が相手なので、同じ状況というのがなく、いつも違っています。私は相手との駆け引きに成功したときの達成感が、すごく好きです」と嬉しそうに語っていました。

東京五輪では江の島で開催されることになっていますが、やはり地元の利を得ることができることは事実です。

さらに「もちろん常に違うとはいえ、傾向というのはありますから、ある程度”こうなっていくだろう”といった予想ができます。ただ外国人選手も大会の2年前くらいから、江の島の環境を把握しますから、結局はみんなと同じくらいのレベルになる気がしますね」とも語っています。

高校を経て日本大学在学中は、全日本選手権(女子インカレ)において、3連覇を遂げる活躍をしています。

2006年の世界選手権では、準優勝を飾りました。

2007年、全日本470級ヨット選手権大会で、史上初となる女子組による優勝を成し遂げています。

2008年6月のドイツで行われた五輪前最後の国際大会であるキール・ウィークで見事に優勝を成し遂げると共に、鎌田選手とのペアで世界ランキング1位を獲得しています。

尚、鎌田奈緒子選手とのペアですが、旧姓が近藤だったことから、「コンカマ」と呼ばれています。

2008年に行われた北京五輪では、10レース中2レースで1位を獲得、それ以外はすべて10位以下となり、好不調が激しく、結局全19チーム中14位になりました。

そして2008年12月、鎌田選手は現役を引退しました。

鎌田選手が引退した後は、田畑和歌子選手とペアを組み、2012年のロンドン五輪では、10レースまで終えたところで総合14位に留まったため、最終レースを逃しています。

田畑選手はその後、レーザーラジアル級(シングル)に移りました。

吉田愛は2013年度からは、それまでのアビームコンサルティングを離れ、ベネッセセーリングチームに所属しました。

2018年、デンマーク・オーフスで開催された世界選手権では、吉岡美帆とペアを組み、女子470級に出場、このクラスでは日本初となる優勝を見事に果たしました。

以上、ここまでは女子セーリングの吉田 愛の経歴、プロフィールをお伝えしました。

Sponsored Link

吉田 愛の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは、吉田 愛の五輪の出場歴、成績を見ていきましょう。

ここまで吉田 愛選手は、2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪へ2大会連続で出場しています。

2008年の北京五輪では、鎌田奈緒子とペアを組み、10レース中2レースで1位、それ以外は全てが10位以下に終わっており、最終的には19チーム中14位に終わっています。

2012年のロンドン五輪では、田畑和歌子とペアを組み、10レースまで終えたところで総合14位に留まったため、最終レースには出ることができませんでした。

過去において五輪2大会連続出場を果たしましたが、いずれの大会でも残念な結果に終わってしまいました。

それだけに、今回行われる東京五輪への思いは、かなり強いものがあると思っています。

日本の女子セーリング界では、吉田 愛と吉岡 美帆とのペアが470級で、世界選手権とアジア大会でいずれも金メダルを獲得していますので、一番注目されているペアです。

東京五輪で開催されるのが、藤沢市にある「江の島ヨットハーバー」ですので、地元の利を活かせれば、金メダル獲得も夢ではありません。

吉田選手と吉岡選手は10歳、年の差があります。

性格は正反対で、どちらかというとカッとしやすい吉田選手に対して、吉岡選手は冷静な性格なので、気付かせてくれるそうです。

それがお互いに弱点を補うことにもなるので、ペアとしては最高であるとのことです。

ペアを組んでから5年ほど経過しましたが、まさに今が一番脂が乗り切った感じがするのではないでしょうか。

今回、東京で開催されるセーリング競技ですが、吉田選手からは、まだ見たことがない人へのアドバイスをいただいています。

「セーリング競技は沖の方で行われますので、少し分かりにくいのですが、見えないスタートラインに並んで、ポジション取りなどの駆け引きをする姿などに注目してほしい」とのことです。

「あとは艇の種類が色々ありますので、それを見ていただくのも面白いと思います」と語ってくれました。

吉田選手は2017年6月にお子さんが誕生しました。

最近は可能な限り、お子さんの琉良(るい)君を大会に同行させているとのことです。

プライベート時間は、息子さんと過ごすことで、競技の気分から切り替えているそうです。

お母さんになってからは、息子さんに歌を歌ってあげたりすることで、パワーが出るそうです。

今は五輪大会本番が1年延長になって、選手にとってはモチベーションを上げにくいのではないかと心配されますが、パワー不足を補うため、男子選手と一緒に練習をすることもあるそうです。

パワー不足を解消すれば、女子競技では確実に勝てると確信している吉田と吉岡の二人です。

ぜひ日ごろの練習の成果を、2021年の夏の本番で発揮して、出来れば金メダルを獲得して欲しい、多くの日本のファンたちはそう願っています。

皆さんの心からの声援が、日本艇を後押しするのです。

皆さんで大きな声でエールを送ろうではありませんか。

ガンバレ日本! 金メダルを目指して最後まで頑張れ、吉田 愛!



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です