東京五輪2020は1年延期が確定され、選手たちはそれに向かって調整中です。
1964年に行われた時は、中学生でしたので聖火ランナーが走った際は、授業を中断して窓から手を振ったりして声援を送ったことを思い出します。
あれから早くも56年が経過したわけですが、ここへ来て大きな問題が起こりました。
新型コロナウイルスによる肺炎で、世界中に感染が広がってきました。
最初はあまり問題視されていなかったのですが、瞬く間に広がってきて、多くの感染主と共に亡くなる人たちもかなりの数になっています。
東京や大阪など日本の繁華街では連日感染者数が増えてきて、このままでは医療崩壊が起こるというぎりぎりの所へ来ています。
もしも医療崩壊が起きれば患者さんの命を救うことができなくなってしまい、町はパニックに陥ります。
それだけは何としても避けなければならないということで、連日医療関係者の人たちも懸命に努力をされていますが、一部の人たちは相変わらず勝手気ままに外出をして感染を広げてしまっています。
早く非常事態を宣言しなければ、東京も大変なことになってしまいます。
国のリーダーの決断が待たれるところです。
そんな非常事態が続いていますが、一方、東京五輪開催に向けて着々と準備されているのも事実です。
ここからはセーリングで日本代表が内定した、富澤 慎選手についてどんな選手なのかを見ていきたいと思います。
どうぞ最後までご覧ください。
富澤 慎の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、富澤 慎の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
富澤 慎(とみざわ まこと)は、1984年(昭和59年)7月19日生まれで35歳です。
新潟県柏崎市の出身で、身長は182cm、体重は72kgの日本のセーリング選手です。
最終学歴は関東学院大学人間環境学部卒で、所属先はトヨタ自動車東日本です。
セーリングは小学2年生の時から始めました。
お父さんは元国体選手の富澤 仁さんで、セーリングを趣味としています。
富澤選手は「エンジンではなく自然の力を利用する競技は少ない。風に引っ張られている感覚に次第にはまっていきました」と語り、中学生の頃から楽しく感じ始めたそうです。
なぜならば滑走状態で走行することができるようになったからです。
これを「プレーニング」といっています。
板が跳ねて時速25kmくらいの速度が出る状態でこの状態をコントロールできることが、初級者と中級者の分かれ道ということです。
高校2年生の時に出た柏崎市のユニバーシアードでは、同級生に抜かされそうになったことで、それがきっかけでそれまで所属していた水泳部を退部、セーリングに専念することを決意しました。
それまで同じ世代の中で頭一つ飛びぬけていた富澤にとって、この時の出来事はまさに衝撃的でした。
実際には負けたわけではなかったのですが、「危機感というものを感じた」そうです。
負けず嫌いな面が出たのではないでしょうか。
セーリングの面白さ、それは風を動力にして水上をスイスイと滑走する、速さと技術を競う競技です。
レースの海面に設置されたブイを、決められた順序で決められた回数を回ってゴールするものです。
日本においてはあまり馴染みのない競技といえますが、陸上競技に例えればマラソンのようなものといえます。

およそ30分のレースを10本行い合計で結果を出しますが、風が強い場合は時速40kmほど出るということで、迫力あるレースが展開されるので、見ていて面白く感じます。
2003年のインカレでは、個人戦で見事に優勝を果たしました。
2018年にはセーリング男子RS:X級日本代表として2008年の北京五輪から3大会連続で出場し、東京五輪2020に向けて強化選手に選ばれました。
東京五輪ではセーリング会場が江ノ島ヨットハーバーにて行われることが決まっています。
富澤選手はこう語っています。
「大学の時から鎌倉を拠点にしてレースをしているので、かれこれ15年くらい江ノ島での経験を積んでいます。ホームは絶対アドバンテージがありますから自信はありますね」と力強く語っています。
年齢から言っても、この東京五輪は最後の五輪になるということも話していますが、集大成であることは間違いありません。
ぜひ東京五輪本番でも頑張ってほしいと思っています。
以上、富澤 慎の経歴、プロフィールをご覧いただきました。
富澤 慎の五輪の出場歴、成績は?

それではここまでの富澤 慎の五輪の出場歴、成績を見ていくことにしましょう。
富澤選手ですがここまで五輪は2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪、そして2016年のリオデジャネイロ五輪の3大会連続で出場してきました。
最初の北京五輪では怖いもの知らずということで、あまり深く考えずに出たそうです。
当時の会場は得意な「風が弱い」コンディションだったこともあり、10位という結果を残すことができ良い思い出となったそうです。
2度目のロンドン五輪では風が強く、当時は苦手としていたコンディションで、その苦手な意識を持ったままで臨んだため、28位というあまり芳しくない結果に終わりました。
そして3度目のリオ五輪では、風が強い環境に対し克服出来ましたが、守りに入ってしまい、今までで一番悔しい思いをしたそうです。
過去2度の五輪体験もあって、確実に行こうとしてそれが裏目に出てしまったのかもしれず、結果15位に終わってしまいました。
これまでの五輪では10位→28位→15位でした。
集大成ともいえる東京五輪ではもちろんメダルを狙っているとのことです。
富澤選手は語ります。
「東京五輪は世界一のコーチが付いていますので、今まででは最高の環境で臨める大会です。ここまでやってだめなら、もうそれは自分がそこまでだったということになる」と力を込めて語っています。

家においては3歳と6歳の二人のお子さんを育てている富澤選手ですが、ごく普通の父親だそうです。
「基本的には競技漬けの日々ではありますが、オフの時間は普通に子育てをしているって感じですかね」と優しいパパぶりで話しています。
また「競技には家族の存在がどう活きているかは分からないですが、自分にとって大切で、守るべき存在であることは間違いありませんね」
お子さんたちを何度も海に連れて行っているそうですが、「子供たちは船に乗っている間は楽しんでいるんですけれど、海に落ちると一気にテンションが落ちちゃうんです。まずは海に慣れないとだめですね、水泳をやらせなきゃ」とも語っています。
前回のリオ五輪では治安の関係で家族は会場に来られませんでした、東京五輪では間違いなく会場に応援に駆け付けることでしょう。
「家族が会場に来ることで何が変わるかは分からないけれど、頑張らなくっちゃ」と優しい笑顔で語ってくれました。
富澤選手は今後の目標として3つ挙げています。
「1.後継者を育てること。自分も世界一のコーチから指導を受けて結果がどんどん出ていますので、それを若手に伝えていきたい」
「2.どこまで五輪に出場できるのか、自分を試してみたい。葛西紀明さんのような選手にはさすがになれないかもしれませんがね」
「3.トヨタ自動車東日本で仕事に打ち込むことです。与えられた仕事は何でもやるという気持ちで、これからすべてに取り組んでいきたい」と語っています。
優しいお父さん、ガンバレ!と応援したくなりましたね。
ぜひこれからの人生も楽しんで欲しいと願っています。

それではここからは五輪も含めて各大会での成績を、年代順にまとめてお伝えしましょう。
・2007年 世界選手権 18位(日本人最上位で初の五輪代表に選出)
・2008年 北京五輪 10位(ウインドサーフィン種目で日本人歴代最高位)
・2012年 世界選手権 14位(世界選手権自己最高位で2度目の五輪代表選出)
・2012年 ロンドン五輪 28位
・2013年 世界選手権 11位(世界選手権自己最高成績)
・2016年 リオデジャネイロ五輪 15位
・2016年 ワールドカップシリーズファイナル 3位(ワールドカップ自己最高位)
・2017年 ワールドカップシリーズ日本大会 4位
・2018年 ワールドカップシリーズフランス大会 5位(EU開催大会の最高位)
・2018年 ワールドランキング 4位(自己最高位)(2018/8/4現在)
以上のような成績を挙げています。
どの大会でも実に素晴らしい成績を挙げていることが分かります。
さあ、いよいよ1年後には東京での五輪が開催されるわけですが、現在心配なのは新型コロナウイルスがどこまで続くのかということですね。
一刻も早い終息が待たれます。
選手の皆さんにとっては調整がかなり難しくなることと思いますが、ぜひ本番では日ごろ鍛えた技と精神力で、上位を目指しできれば最高のメダルを獲得して欲しいと思います。
皆さんで大きな声援を送ろうではありませんか。
頑張れニッポン! 最後まであきらめることなく金メダルを目指してガンバレ、富澤 慎!
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