東京で昭和39年に行われたオリンピックとパラリンピックが、令和になった2年目に再び開催されることになりました。
いよいよ今年の夏、7月から8月にかけて開催される予定です。
待ちに待った五輪ですが、ここにきて風雲急を告げる大きな出来事が起こっています。
中国に端を発した新型コロナウイルスによる肺炎が、瞬く間に世界中に広まりました。
東京も例外ではなく一番問題なのは、北海道の感染の速さで見る見る間に感染者が増えてしまいました。
亡くなった人たちも徐々に増えつつあるわけですが、このままでは東京五輪開催も危ぶまれてきました。
なんとか対策を執って、感染を収れんさせようと国を挙げて取り組んでいます。
選手たちにとっては今や不安以外何もない状況ではないかと思われます。
果たして予定通り行われるのでしょうか?
一刻も早く収まってほしいと強く願っています。
さてそんな状況ではありますが、東京五輪の男子マラソン代表を決めるべく、すでに出場内定の2人に次いで、3人目の出場を決めるための東京マラソン大会が行われました。
その大会では三人目になる為にスタートから猛烈な戦いが展開されましたが、最終的には大迫 傑選手が見事に日本人選手トップで4位に入り、自己の持つ日本新記録を更新して、3人目の出場内定を確定させました。
ここからはその大迫 傑にスポットを当てて、どんな選手なのかを見ていきたいと思います。
最後までじっくりご覧ください。
大迫 傑の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、大迫 傑の経歴、プロフィールを見ていきたいと思います。
大迫 傑(おおさこ すぐる)は、1991年(平成3年)5月23日生まれで28歳です。
東京都町田市出身で身長は170cm、体重は52kgの陸上競技、長距離走、マラソンの選手です。
現在の所属先はナイキです。
町田市立金井中学校在学中に、陸上競技を始めました。
3年生の時、第33回全日本中学校陸上競技選手権大会で3000mに出場し、3位に入賞しました。
東京都中学校最高記録である8分41秒59を達成したのです。
高校は長距離走や駅伝などの強豪校である、2007年4月に長野県の佐久長聖高等学校に進みました。
高校2年生の時(2007年)には5000mに出場し、高校2年生としては、史上4人目となる13分台をマークしています。
同年に開催された全国高校駅伝大会では、自ら志願してアンカーを務めて、1位でタスキを受けて区間賞を達成する活躍を見せ、佐久長聖高校の初優勝に貢献しています。
タイムは2時間02分18秒でしたが、これは外国人選手を含まない記録として過去最高の記録となりました。
2009年には2度目の全国高校駅伝大会に出場し、大迫選手は1区を担当し見事に区間賞を取りました。
タイムは29分06秒で、同じ佐久長聖高校出身の上野裕一郎に次ぐ、1区日本歴代2位の好タイムでした。
この大会では4位になっています。

2010年に早稲田大学へ進学しました。
7月にカナダのモンクトンで開催された世界ジュニア選手権に10000mで出場、8位に入賞しました。
また同年の第22回出雲駅伝では2区を任されました。
先頭を守りましたが、後続に差を詰められたことで、大迫選手にとっては悔しい大学駅伝デビューとなりました。
早稲田大学はこの駅伝では、14年ぶり2回目の優勝を飾っています。
第42回全日本大学駅伝では2区を走り、先頭の東洋大学の柏原竜二との差を20秒縮め、1区での遅れを取り戻す7人抜きの好走を見せました。
その後早稲田大学は佐々木、志方らの活躍で優勝を飾っています。
同年11月22日に行われた上尾シティハーフマラソンでは、1時間01分47秒で見事に優勝を成し遂げています。
2011年の第87回箱根駅伝では1区を担当、序盤で早くも集団から抜け出しました。
10km過ぎまで後ろに付いていた、日本体育大学の服部翔太を交わして、2年連続で1区の区間賞を獲得しました。
この活躍で早稲田大学は5区の中盤まで先頭を守り、東洋大学と27秒差の往路2位に入りました。
翌日の復路ではその東洋大学を逆転、18年ぶりとなる総合優勝を飾っています。
この結果、大学駅伝3冠を達成しました。
これは2000年の順天堂大学以来10年ぶりの快挙となりました。
中国の深圳で行われたユニバーシアードでは10000mに出場、28分42秒83の好タイムで見事に優勝を遂げています。
これは日本人選手としては、1995年の福岡大会での渡辺康幸選手以来16年ぶりの優勝でした。
2012年の第88回箱根駅伝では1区を走り、2年連続区間賞を獲得しています。
これも見事な成績だと思いますね。
早稲田大学を卒業した大迫は、2014年に日清食品グループと所属契約を交わしました。
この年にはナイキ・オレゴン・プロジェクトにも籍を置きました。
2014年のアジア競技大会では10000mに出場し、28分11秒94で銀メダルを獲得しました。
2015年元旦に行われたニューイヤー駅伝では、日清食品選手として1区を担当、ラスト1kmからロングスパートをして後続を引き離して、見事に区間賞を獲得しました。
3月には日清食品との所属契約を解除、ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属に専念しました。
2016年には第100回日本陸上競技選手権大会の10000mと5000mに出場し、2冠を達成しています。
初マラソンは2017年4月17日のボストンマラソンでした。
初めてのマラソンでしたが2時間10分28秒で3位に入っています。
これは瀬古利彦選手以来日本人選手では、初めてボストンマラソンの表彰台に立ったことになります。
これも実に素晴らしいことですね。
6月には日本選手権10000mで連覇を達成しました。
12月3日に行われた第71回福岡国際マラソンで全体で3位(日本人では1位)、当時の日本歴代5位となる2時間07分19秒の好タイムでゴールイン、MGCの権利を獲得しました。
2018年10月7日のシカゴマラソンでは3位に入り、2時間5分50秒で日本新記録を樹立しています。
その結果報奨金の1億円を手にしたわけです。
素晴らしい結果でしたね。
そして2020年3月1日の東京マラソンでも全体で4位(日本人では1位)に入り、2時間5分29秒で、自己の持つ日本新記録を21秒も更新しました。
その結果恐らくですが3人目の男子マラソン出場がほぼ決まったと思われます。
まだこれから最後のマラソン大会が控えていますが、この記録を破っての記録を出さねばならず、無理であろうと言われていますので、ほぼ内定したといっていいと思います。
尚、びわ湖マラソンが今日3月8日に行われましたが、出場した選手では日本新記録が出ませんでしたので、大迫傑選手が東京五輪男子マラソンの3人目代表に内定しました。
以上、ここまでは大迫 傑の経歴、プロフィールをお伝えしました。
こうして見てきますといかに優れた選手であるかが、改めて分かる気がしますね。
東京五輪本番での金メダル獲得も、大きく近づいてきたのではないでしょうか。
頑張ってほしいと思います。
大迫 傑の五輪の出場歴、成績は?

ここからは大迫 傑の五輪の出場歴、成績について見ていきましょう。
大迫 傑ですが、ここまで五輪への出場歴はありませんでした。
そこで今までの主な大会での成績を、年度を追ってまとめてみたいと思いますので、ご覧ください。
・2010年 第89回関東学生陸上競技対校選手権大会 10000m 4位 28分35秒75
・2010年 第23回上尾シティハーフマラソン 優勝 1時間01分47秒
・2011年 第90回関東学生陸上競技対校選手権大会 5000m 3位 13分50秒32
・2011年 第26回ユニバーシアード 10000m 優勝 28分42秒83
・2012年 第26回福岡国際クロスカントリー大会 10km 優勝 30分27秒
・2012年 第91回関東学生陸上競技対抗選手権大会 5000m 優勝 13分47秒44
・2013年 第92回関東学生陸上競技対抗選手権大会 5000m 2位 13分34秒30
・2014年 第98回日本陸上競技選手権大会 10000m 2位 28分33秒57
・2014年 第17回アジア競技大会 10000m 2位 28分11秒94
・2015年 第99回日本陸上競技選手権大会 5000m 2位 13分37秒72
・2016年 第100回日本陸上競技選手権大会 10000m 優勝 28分07秒44
・2016年 第100回日本陸上競技選手権大会 5000m 優勝 13分37秒13
・2017年 ボストンマラソン 3位 2時間10分28秒
・2017年 第101回日本陸上競技選手権大会 10000m 優勝 28分35秒47
・2017年 第71回福岡国際マラソン 3位 2時間07分19秒
・2018年 第101回日本陸上競技選手権大会クロスカントリー競走 10km 優勝 29分53秒
・2018年 シカゴマラソン 3位 2時間05分50秒
・2019年 マラソングランドチャンピオンシップ 3位 2時間11分41秒
・2020年 東京マラソン 4位 2時間05分29秒(日本新記録)
以上のような成績を挙げていますが、どの大会を見ても素晴らしい成績を挙げていることが分かります。
さすがに日本を代表するだけの素晴らしい選手であると、確信できますね。
いよいよ東京五輪本番まで残りわずかとなってきました。
この好調さを本番でも発揮できれば、恐らく金メダルにも十分届くものと思われます。
問題は、真夏の開催ということで、いくら北海道に変更されても暑い日もありますので、熱中症には十分気を付けて欲しいと思っています。
今回の東京マラソンで日本人選手では1位となる日本新記録を達成しましたが、その後、同じく東京マラソンで敗れはしましたが、設楽悠太選手と一緒に写真を写したときの画像と共に、インスタグラムでコメントを載せていましたが、とても素晴らしかったのでここでご紹介します。

コメントもご紹介します。
「僕らはどこまで行けるだろう。闘っている相手はいつも自分自身。孤独だけれど孤立してはいない。競争する仲間はいるから。誰のため?何のため?ひとつだけ夢をあげるなら、次の世代の目標になりたい。僕らは、いまスタートラインに立った」との素晴らしいコメントを残しています。
さあ東京五輪本番でも大いなる活躍を期待したいところですが、それには皆さんの大きな声援が背中を押してくれるものと思います。
一緒にエールを送ろうではありませんか。
頑張れニッポン! 最後まで優勝を目指してガンバレ、大迫 傑!
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