山西 利和の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【20km競歩】




東京で2度目の開催となるオリンピックとパラリンピックがいよいよ開催されますね。

今は各競技ごとに、出場選手の内定が決まりつつある状況です。

果たしてどんな選手が決まるのか、ワクワクしてきます。

オリンピックの華と言えば、何と言っても陸上競技ではないでしょうか。

その陸上競技でも、この競歩というのはちょっとばかり地味な種目かもしれません。

しかし、マラソンと違って長時間かかることと、反則があるので一時も目が離せない面白い競技ですね。

日本の競歩代表選手も、今や世界に名前が知れるような素晴らしい選手たちが現れています。

ここからは、その男子20km競歩の山西 利和にスポットを当てて、ここまでの経歴、プロフィール、五輪出場歴や成績などを、最新情報を交えてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までご覧ください。

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山西 利和の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、山西 利和の経歴、プロフィールを見ていくことにしましょう。

山西 利和(やまにし としかず)は、1996年(平成8年)2月15日生まれで23歳です。

出身は京都府長岡京市で、身長は164cm、体重は54kg、陸上競技競歩選手です。

京都府長岡京市立長岡第三中学校時代は、3000mのトラック走者として各記録会に出場しました。

高校は京都市立堀川高等学校へ進学しました。

その際、先輩がやっていた競歩に興味を持ち、それ以来トラックから競歩に転向しています。

そして3年生の時に出場した、第8回世界ユース陸上競技選手権大会(ウクライナ・ドネツック)では、男子10km競歩で41分53秒80の好タイムを出し、日本選手初の優勝を成し遂げました。

2013年(平成25年)の全国高等学校総合体育大会(大分県)では、男子5km競歩に出場、20分55秒24の大会新記録で見事に優勝をしています。

その後、高校を卒業し京都大学工学部物理工学科に進学しました。

京都大学を選んだ理由は自宅から通うことができ、陸上も強い大学である、との思いから決めたそうです。

さらに高校時代の恩師であった船越康平先生に、週1,2回練習を見てもらえることも、地元大学を選んだ理由の一つだそうです。

船越先生は長距離の出身でしたが、競歩の新版資格を取られ、鈴木雄介やリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得した荒井広宙(富士通)らの、若い時代を指導した内田隆幸氏とも、つながりがありました。

陸上競技部に所属し、2017年、4回生の時に中華民国台北市で開催された、2017夏季ユニバーシアード大会男子20km競歩では、2位に50秒差をつける1時間27分30秒の好タイムで、見事に優勝を成し遂げました。

レースの序盤から山西選手を含む日本代表の3選手が先頭集団に立ち、10km付近で山西選手が一人で飛び出し、後続選手を徐々に引き離して、そのままゴールインしました。

これはとても素晴らしいことだと思います。

そのレース後、山西選手はこう語っています。

「優勝することができて大変うれしく思います。これを一つのステップとして、次につなげていきたいと思います」と、うれしそうに語っていました。

京都大学を卒業後、トヨタグループの愛知製鋼に入社しました。

ここでも引き続き陸上競技選手として、主に競歩で活動しました。

2019年10月4日には、世界陸上選手権大会(カタール・ドーハ)で、男子20km競歩に出場、酷暑で多湿という厳しい条件でしたが、これをものともせず、1時間26分34秒の好タイムで見事に優勝し、金メダルを獲得しました。

これにより、東京五輪2020での男子20km競歩に出場の内定がなされました。

この知らせを受けた山西は、「うれしい気持ちとホッとする気持ちです」と胸をなでおろしました。

このレースですが暑さ対策で深夜に挙行されました。

深夜でしたがそれでも気温はあまり下がらず、32度、湿度も77%もあったことで、消耗度が激しいレースでした。

7kmを過ぎたあたりから先頭に立ち、それからは一人旅という厳しいレースとなりましたが、首に保冷剤を当てることでがんばり、2位に15秒の差をつけて勝利しました。

京都大学出身選手としては、1936年(昭和11年)のベルリン五輪で、男子三段跳びに出場した田島直人選手に続く五輪選手となりました。

本人曰く「二番煎じです」と語っています。

謙遜で語ったことだと思いますが、何とか東京五輪でも頑張ってほしいと思います。

山西選手の趣味ですが、読書だそうで座右の銘として「継続は力なり」があるとのことです。

これも素晴らしいですね。

以上、ここまでは、山西 利和の経歴、プロフィールをお伝えしました。

今後の大いなる活躍を祈っています。

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山西 利和の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは、山西 利和の五輪の出場歴、成績を見ていきたいと思います。

ここまでの五輪出場歴はありませんでした。

ここからは五輪以外の大会での成績をまとめてみたいと思います。

・2013年 世界ユース選手権 男子10km競歩 金メダル

・2017年 ユニバーシアード 男子20km競歩 金メダル

・2018年 アジア大会 男子20km競歩 銀メダル

・2019年 世界選手権 男子20km競歩 金メダル

以上、ここまでは各大会での成績をお伝えしました。

ここで山西選手の競歩に対する考え方を見ていきたいと思います。

山西利和が競歩の競技者として、それまでよりも一段階上がることができたこと、それはレースの終盤で切り換える能力を身に着けたからだそうです。

京大4回生の時の2018年2月に行われた、日本選手権で1時間17分41秒の学生新記録で歩きましたが、富士通の高橋英輝に敗れて2位に終わりました。

その後愛知製鋼に入り実業団選手として臨んだ2018年のアジア大会でも、やはり中国選手に敗れて2位に終わりました。

2019年2月の日本選手権でも、高橋と池田両選手に敗れて3位となってしまいましたが、いずれもラスト勝負に負け続けたのです。

その大きな課題を克服するべく、新たなトレーニングをしました。

日本選手権での高橋選手のラスト1kmが、3分38秒でしたので、能美で勝つためにはラスト2kmを、3分40秒で2回押し切る必要があると考えました。

まずはそのイメージをしっかりと持ち、そのためにはどういう動きをすればいいのか、どういう練習が必要なのかと考えて実行したそうです。

具体的な動きでは、「地面を蹴る動き」から「地面からの反力をもらう動き」に近づける工夫をしました。

さすがに京大での秀才だけあって、動きについては「地面を蹴る動きのことを、アジア大会当時はうまく言語化出来ず、空回りという言葉を使っていました。

感覚的に行っている動きを言葉にして表すこと、それはトップ選手にとっても、自身の動きの変化を整理する上では、とても重要なことだと言われています。

おそらくですが、山西選手にはまだ言語化できていない動きがあるはずです。

それができた時には、競技での成績がさらに上がることと思います。

そして3月の全日本競歩能美大会では、ラスト2kmでペースを上げて、自己記録である1時間17分15秒で、見事に優勝しました。

2014年に京大工学部物理工学科に現役で合格しました。

理由として「自宅から通えること。研究もしっかりできること。陸上もそこそこ強い大学である」と、当時取材で話していました。

京大出身競歩選手では、杉本明洋が2005年と2007年の世界選手権代表入りを果たしています。

山西選手が入学したときも、800mと長距離で学生のトップレベル選手が在籍していました。

「競技をやめる選択肢もありました」とのことですが、大学でも競歩と真剣に向き合おうと決心しています。

「ぼんやりと続けることが一番よくないことと思いましたね。1,2回生の頃は、まだ差が大きかったですが、狙い続けたのは日本代表入りでした」

船越先生に見てもらう練習は、緊張感があったそうです。

チームに専属の指導者がいて、関東の大学のように寮に入って競技一色でという学生生活では、ありませんでした。

推薦入学で選手が集まる大学以外では、通常の学生生活の中で、競技にも取り組みます。

「(強豪校とは違って)いろいろなバックグラウンドを持った選手が集まっていましたが、そう感じることは少なかった気がします」

「中にはいくら話し合っても考え方が、相いれない人もいましたので、全くなかったといえばウソになりますね」

チーム内の雰囲気や一体感、それが競技の力を高めます。

これこそ学生スポーツの良さだと思います。

チームの全員が同じ方向を向いていれば、山西選手の競技には、プラスに働いたという可能性は、あったのではないでしょうか。

オリンピックと世界陸上の代表に届かなかった学生時代の競技成績には、「京大だからという理由でメディアにも取り上げられましたが、その注目度に見合うような活躍はできませんでした」と語っています。

しかしながら、4回生での台北ユニバーシアード20km競歩では、金メダルを獲得、日本インカレ10000m競歩では1回生時から8位、2位、優勝、優勝と4年間、合格点といっても過言ではないくらいの好成績を残しました。

しかし、京大を選択したことがベストだったと感じられたかを確認すると、「結論はまだ出せませんね」との返事が返ってきました。

「何か」を追い続けた4年間だったといえますね。

その後、愛知製鋼に入ってからは、学生時代にアドバイスを受けていた内田氏に、正式にコーチについてもらいました。

山西選手が自分の動きを突き詰めて考えて、それを打ち出しがアドバイスをする。

拠点である名古屋で一緒に練習するのは、月に2、3日程度ですが、陸連での合宿も含めて、帯同してもらい、歩く形も細かくチェックしてもらっています。

「実は今でも船越先生には動画を送り、アドバイスをいただいています。内田コーチと船越先生は、歩形への見方や考え方で大きな食い違いはありません」

「僕が主体的になったというと、僕の考える比率や決定権が大きくなったようにとられてしまいます。そうではなく、僕の考えている領域が広がったのだと思います」

指導者が発する言葉に対する理解度が向上し、自分の中で消化の仕方も精度が上がりました。

それができるようになったから、2019年の日本選手権後に、内田コーチと相談し、最後でスピードを切り替えることができる練習に取り組んだのです。

こうして見てきますと、いかに競歩という競技は奥が深いんだなあ、ということを、改めて感じますね。

厳しい練習に耐えることができる山西選手であればこそ、余計に実感がわいてきます。

いよいよ残り少なくなってきましたが、東京五輪本番で思う存分自分の力を出し尽くして、金メダルを獲得して欲しいと思います。

さあ皆さんで大きな声援を送ろうではありませんか。

頑張れニッポン! 金メダルはすぐそこにある、ガンバレ山西利和!



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