令和2年の大相撲初場所は、昨日千秋楽を迎え、波乱の展開の末平幕で幕尻の徳勝龍関が、見事に14勝1敗で初優勝を成し遂げました。
33歳での初優勝で、しかも千秋楽では大関貴景勝関を見事に破っての優勝でしたね。
本当におめでとうございました。
そして一夜明けた今日、驚きのニュースが入ってきました。
これまで長い間大関として頑張ってきた境川部屋の豪栄道関が、初場所を最後に引退を決意したとのことです。
そこでここからは豪栄道関の引退ということを中心に、最新情報をお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までご覧いただきたいと思います。
豪栄道は引退を決意したって本当?

初場所では足首のケガなどにより、自分自身思うような相撲が取れなくなってしまったようです。
結局5勝10敗の成績で、長く務めてきた大関の座を明け渡すことになりました。
来場所(3月大阪場所)は地元でもあるので、関脇として10勝以上の成績であれば再び大関にカンバックできることになっていましたが、ついに今日、引退を決意したそうです。
この初場所は、白鵬と鶴竜の2横綱がそろって休場してしまいました。
そのため、最高位の大関として場所を盛り上げなければとのプレッシャーも、少なからずあったと思います。
一方の大関貴景勝関は、後半まで優勝争いに加わって多くの相撲ファンを沸かせました。
しかし、豪栄道関はなかなか調子が上がらず、この場所でもし負け越せば、大関陥落という厳しい事実を背負っての場所でした。
強い時の豪栄道関と比べて、あまりにも弱さを感じてしまう相撲内容でしたので、中日以降はちょっと不安な気持ちで見ていました。
そして最後の方では、何か気持ちが吹っ切れたような強烈な押しで、勝利を挙げた日もありました。
しかしながら、結局星が上がらず、5勝しかできませんでした。
果たして本人の気持ちはどうだったのでしょうか?
おそらく何かを感じながらの相撲だったと思います。
大相撲という競技は、単に勝ち負けを争うものではないと思います。
その中には日本独自の文化と伝統が存在していると思います。
最高位である横綱という地位に行くまでには、相当な困難があり少数の関取しか到達できません。
そのすぐ下の地位である大関は、負けが込んでしまえばいずれは陥落せざるを得ません。
今までも多くの大関が、この厳しい現状に勝てず、大関から関脇へ、さらには平幕まで落ちてしまった力士も少なくありませんでした。
豪栄道関は私も大好きな関取の一人でしたので、引退ということを聞いた時はショックを受けました。
でも心の片隅では、今まで私たちファンを楽しませてくれたことに、感謝する気持ちが大きく、お疲れさまでしたという言葉が出てきました。
おそらく多くの豪栄道ファンも同じ気持ちではないかと思います。
これから第二の人生を堂々と歩んで欲しいと思っています。
境川親方の心境は?

境川親方ですが、私も豪栄道関の陥落が決まった際、検査役として務め結びの一番が終わって引き揚げていく時、なぜか境川親方の背中が寂しそうな気がしました。
目の前で愛弟子が大関を陥落していく姿を見せられたわけですから、恐らくショックも大きかったと想像します。
しかし、その後のインタビューでは、来場所での地元大阪場所で頑張ってくれるだろうというようなことを、記者に話していたとのことです。
きっと本人には豪栄道関を気遣って、このようなことを語ったのではないでしょうか。
以前、豪栄道関が初めて全勝優勝を成し遂げた時の、境川親方のうれしそうな笑顔が今も忘れることができません。
あの場所の豪栄道関は、失礼ですが今までとは全く違って、連日堂々とした戦いぶりを見せてくれましたね。
いつもですと、なぜか自信のないようなしぐさを見せることが多かったのですが、その時はまるで人が変わったように強かった。
またあの時のような豪栄道関の姿が見たかったです。
引退後、どのような道を歩んで行かれるかまだわかりませんが、できれば大相撲の世界に残って、後進の指導をして、ゆくゆくは自分の部屋を持って欲しいと願っています。
または部屋付きの親方として、NHKのテレビ中継で相撲解説者として、どのような話をしてくれるかも、楽しみの一つです。
豪栄道の経歴、プロフィールは?

それではここからはこれまでの経歴、プロフィールなどをお伝えしたいと思います。
豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう)は、1986年(昭和61年)4月6日生まれで33歳です。
本名は、澤井 豪太郎といいます。
大阪府寝屋川市の出身で、身長は184cm、体重は160kg、血液型はB型で、境川部屋所属の元大相撲力士です。
得意技としては、右四つ、寄り、出し投げ、切り返し、外掛け、首投げなどがあります。
最高位は東大関です。
生まれた時の体重は何と4380gという大きな赤ちゃんでした。お母さんが車を運転したときには、ハンドルとおなかが擦れてしまうほどだったそうです。
名前ですが男の子なので太郎という字と、豪華で大きいというイメージから豪太郎と名付けたそうです。
相撲を始めたのは、明和小学校1年生の時でした。
エピソードとしては、当時、豪栄道が同級生の中にあって、偉そうにしていたのを見かねた家族が、相撲大会で大きい子にやっつけてもらおう、とのことで、市の相撲大会に出させました。
この大会では思いがけず、優勝してしまったそうで、それ以来豪栄道は相撲のおもしろさの虜になったということです。
小学3年生の時、アマチュア相撲で高名な古市道場に通い始め、相撲の手ほどきを受けました。
5年生の時には「わんぱく横綱」にも輝きました。
寝屋川第四中学校へ進んでからは、一時体重が80kgと軽量だったこともあり、相撲に対する熱意が冷めてしまったそうです。
そんな矢先、名門の埼玉栄高校相撲部の監督から勧誘されました。
しかし中学時代の不調もあり、戸惑いましたが、そんな自分にでも声をかけてくれたことに感動し、埼玉栄高校への進学を決意しています。
中学3年生の時夏ころから10月までの間には、30kgの増量をして相撲ができる体作りに励みました。
埼玉栄高校に入学後、相撲部に所属し1年生の時にはインターハイや全国大会で頭角を現し始めました。
そして高校横綱になり、世界ジュニア相撲選手権大会でも無差別級で優勝するなど、11個もの個人タイトルを獲得しています。
素晴らしい活躍ぶりですね。
また、全日本相撲選手権でも高校生としては史上4人目となる3位に入賞を果たしました。
常幸龍関は高校の2年先輩ですが、豪栄道関についてこう語っています。
「実力が違い過ぎたので稽古をつけてもらったこともありません。アマチュアのトップでした」と強かった豪栄道を褒めています。
そして春日野部屋の栃煌山関は、自他ともに認めるくらいの少年時代からのライバルとなって競い合いました。
高校3年生の時、日本大学への推薦入学が内々定しました。
しかし、本人は角界入りを望んでいました。
その結果日本大学への進学を辞退しましたが、このため直前に控えていた国民体育大会相撲競技に臨むために、稽古をする場所がなくなってしまいました。
そんな時、埼玉栄高校相撲部の、山田道紀監督の先輩である境川親方(元小結の両国関)に相談した所、部屋の力士たちが稽古の相手を引き受けてくれたそうです。
幕下力士を相手にしても、澤井の方が圧倒的に強かったとのことです。
その結果、稽古に行くだけでなく、境川部屋へ入門することを決断しています。
入門後、序ノ口から三段目まで、それぞれ1場所で通過、幕下2場所目の2005年(平成17年)11月場所では、7戦全勝で幕下優勝を見事に達成しました。
その後も順調に昇進を重ね、2006年9月場所で西幕下6枚目で7戦全勝で2度目の幕下優勝を果たしました。
翌11月場所で新十両に昇進、それと同時にそれまでの澤井というしこ名を豪栄道に改名しています。
豪という字は本名である豪太郎と、師匠の境川豪章の名前から付け、栄という字は埼玉栄高校からとり、道は相撲道ということと埼玉栄高校監督の山田道紀の名前からそれぞれ付けました。
「力強く栄え相撲道に精進する」との意味が込められています。
その後途中は省略させてもらいますが、関脇では14場所連続在位で大関に昇進しています。
大関になってから一番の活躍があった場所は、カド番だった時に挙げた全勝優勝の時ですね。
自身4度目のカド番だった2016年9月場所において、見事に全勝で幕内初優勝の快挙を成し遂げましたね。
その時の優勝力士インタビュ―では、うれし涙を流して喜びをあらわにしていました。
引退を決意した豪栄道関の通算成績は、696勝493敗66休(90場所)となっています。
勝率は0.585です。
大相撲トーナメントでも、2010年2月7日に優勝を成し遂げています。
ここまでの各段優賞は以下の通りです。
・幕内最高優勝:1回 2016年9月場所
・幕下優勝:2回 2005年11月場所、2006年9月場所
・三段目優勝:1回 2005年7月場所
・序ノ口優勝:1回 2005年3月場所
獲得した三賞は以下の通りです。
・三賞受賞 11回
・殊勲賞:5回 2012年5月、2013年9月、2014年3月、2014年5月、2014年7月
・敢闘賞:3回 2007年9月、2008年9月、2012年3月
・技能賞:3回 2009年1月、2011年5月、2012年11月
・金星:1個
・朝青龍関から1個 2010年1月
以上のような成績を残しています。
いずれにしても素晴らしい成績であったと思います。
記録よりも記憶に残る大関だったのではないでしょうか。
来場所からはもうあの姿を見られなくなることは、とてもい寂しい気がします。
本当に日本の侍を思わせる素晴らしい力士だったと思います。
いつまでも私たちの心に残ると思っています。
これからもご活躍を楽しみにしています。
<追伸>
日本相撲協会は1月28日、大関豪栄道の引退と、年寄「武隈」の襲名を発表しました。
今後は境川部屋付きの武隈親方として、後進の指導に当たる、と正式に発表しました。
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