坂井 丞の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【飛板飛込み】




東京2020五輪の開催まであと半年を切りました。

真夏に行われる今大会では、暑さ対策が重要な要素になりそうです。

しかし、あまり暑さに関係ない競技もありますね。

その一つがこの飛板飛込みではないでしょうか。

プールに備え付けられた飛板に乗って、目の前の飛込専用のプールに頭から入っていく競技です。

ここからはその飛板飛込みの坂井 丞にスポットを当てて、ここまでの経歴やプロフィール、五輪出場歴や成績などを見ていきたいと思います。

最後までご覧ください。

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坂井 丞の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、坂井 丞の経歴、プロフィールを見てみたいと思います。

坂井 丞(さかい しょう)は、1992年(平成4年)8月22日生まれで27歳です。

神奈川県相模原市の出身で、身長は171cm、体重は58kg、ミキハウスに所属している飛込競技の選手です。

飛込競技を始めたきっかけは、ご両親が飛込の選手、指導者だったことから、自然に始めたそうです。

姉と妹も共に飛込の選手だそうですから、まさに飛込一家といえそうですね。

高校は麻布大学附属渕野辺高等学校で、在学中には高校総体で、3年連続で板飛込と高飛込の2冠を制したとのことです。

また、日本選手権では2009年に、1m板飛込で初優勝を飾っています。

翌2010年には3m板飛込と高飛込で、共に見事に優勝を成し遂げました。

一方、世界選手権では、2009年のローマ大会から6大会連続で、代表メンバーに入っています。

その世界選手権では2013年のバルセロナ大会で、3m板飛込での8位が最高の成績となっています。

2014年の仁川アジア大会では、3m板飛込で銅メダルを獲得しました。

2016年2月に行われた、FINA飛込ワールドカップにおいて、3m板飛込で出場、準決勝で惜しくも敗退してしまいました。

その結果、2016年のリオデジャネイロ五輪出場枠を獲得、初の五輪代表に決まりました。

しかしながらリオデジャネイロ五輪本大会では、ミスが響いたため22位という成績に終わり、予選で敗退しています。

2018年のジャカルタアジア大会では、12歳年上の寺内健選手と組んで、3mシンクロ板飛込で、銅メダルを獲得しています。

2019年には、光州世界水泳選手権で、寺内健選手と組んで、3mシンクロ板飛込で7位に入賞、日本水泳連盟の規定によって、東京2020五輪代表に内定しました。

これは全競技を通じて個人では、東京五輪日本代表内定第1号になっています。

日本で自国開催という強みをバックにして、ぜひ頑張ってほしいと思っています。

以上、ここまでは坂井 丞の経歴、プロフィールをお伝えしました。

坂井 丞の五輪の出場歴、成績は?

それではここまでの五輪出場歴を見てみましょう。

残念ながら、ここまでオリンピックへの出場歴はありませんでした。

この東京2020五輪大会が、初のオリンピックへの出場となります。

ここからはそこへ行きつくまでの、親子で辿ってきた厳しい練習などに目を向けてみたいと思います。

最初にお伝えしたように、坂井 丞選手のお父さんである弘靖さんは、以前飛込の選手でした。

佐賀県で生まれた弘靖さんですが、小学5年生の時に友人から誘われ、飛込の競技に惹かれたそうです。

1972年のミュンヘン五輪に出場した、久保たえ子さんから指導を受けました。

全国高校総体では2位に入る活躍をしています。

1984年のロサンゼルス五輪の日本代表選考会に出場しましたが、その五輪への夢はかないませんでした。

24歳で現役を引退しています。

その後、神奈川ダイビングクラブのコーチに就任し、小学生から大学生まで指導に明け暮れました。

その時日本体育大学の同級生で、同倶楽部の指導者だった由美子さんと結婚をしています。

1男2女に恵まれ、3人の子供はいつもプールサイドで遊んでいたそうです。

坂井 丞は自然と飛び込み台に立つようになりました。

全国各地で行われる大会が、坂井選手たちにとっては夏休みの旅行だったとのことです。

基礎的な飛込の技術をお母さんから教えてもらいました。

小学生の全国大会に出るようになってからは、お父さんに師事しています。

恐怖心から飛び込めない日が続くと、家に帰っても選手とコーチという関係が続いて、ほとんど口を利かないこともあったそうです。

坂井 丞が小学6年生のころ、サッカーがしたいとお父さんに漏らした際、じっと我慢をして考えさせました。

お母さんからも説得されたためもあって、坂井選手は「飛込でしか味わえない楽しさがある」と考えて、トップを目指していく覚悟ができたそうです。

親子で追及してきた飛込の技術ですが、まっすぐ上に上がってそのまま入水する、という基本を徹底してきました。

お父さんはこう語っています。

「基本の動きの中で宙返りをして入水すれば、すべてがうまくいく」とのことです。

その結果、技術が向上し、次第に頭角を現していきました。

高校2年生の時に出場した世界選手権で初出場、2013年の大会では8位に入賞しています。

世界で8位ということは、実に素晴らしいことだと思います。

このように順調だった矢先、お父さんが突然病に襲われてしまいました。

2015年の秋、十二指腸炎で入院せざるを得なくなりました。

コーチが不在の中にあって、坂井選手は2016年2月のワ-ルドカップで、初のリオデジャネイロ五輪への出場を決めました。

家族もとても喜びましたが、リオデジャネイロ五輪本番では、屋外競技場だったこともあり、風の強さに悩まされ、普段の力を出すことができず、予選落ちという結果になりました。

一緒に五輪会場へ行くことができなかったお父さんは、「やっぱり一緒に行ってあげたかった」と悔やんでいたそうです。

しかしその時から新たな4年間がスタートしたのです。

日常の練習メニューは坂井選手が考え、お父さんは飛び込む姿をタブレットの端末で動画撮影、坂井選手に対して助言を送ります。

坂井選手はこう語っています。

「飛板に立った時、父を見ると安心する。自分の性格や技術の特徴を一番わかっているのが父で、誰にも代えられません」と感謝を口にしています。

お父さんへの感謝の気持ちを、この東京五輪でメダル獲得という素晴らしい結果で報いることができればいいと思っています。

残りわずかとなってきましたが、体調を崩さないように、本番での活躍を期待しています。

皆さんで大きな声援を送ろうではありませんか。

頑張れニッポン! 優勝目指してガンバレ、坂井 丞!

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