2020年(令和2年)になって新年初の大相撲初場所が行われ、連日白熱した大相撲が繰り広げられています。
最近の情勢では世代の交代が余儀なくされている気がして仕方ありません。
東西の両横綱が4日目まで終わった段階で、早くも休場となりました。
今場所も横綱不在の異例な場所となってしまいましたが、それでも両国国技館は連日活気があって面白い一番が続いています。
そんな世代交代の中にあって、最近めきめき調子を上げている関取がいますね。
ここからはその中で一人5連勝と気を吐く照強について、しこ名の読み方や由来、ここまでの成績、どんな力士なのかという力士情報、経歴、プロフィールなど興味のあるところをお伝えしたいと思います。
最後までじっくりご覧ください。
照強のしこ名の読み方は?

大相撲の力士についてですが、一体何と読むのか分からない力士がいますね。
この照強関もそんな一人ではないでしょうか?
読み方ですが照強(てるつよし)と呼ぶそうです。
照強関の詳しい情報はこの後じっくりお伝えしたいと思います。
照強の力士情報と経歴、プロフィールは?
それではここからは、照強の力士情報と経歴、プロフィールを見ていくことにしましょう。
照強 翔輝(てるつよし しょうき)は、本名は福岡 翔輝(ふくおか しょうき)といい、1995年(平成7年)1月17日生まれで24歳です。(明日、25歳になります)
兵庫県あわじ市の出身で、身長は169cm、体重は130kg、血液型はO型、大相撲の関取で伊勢ケ濱部屋に所属しています。

この力士は他の力士と比べて軽量であるため、それを補う取り組みをしています。
それはスピードのある取り組みをすることと、左差しを浅く取り、拝むようにしてしつこく下から攻めていく相撲を心がけているそうです。
小さな力士はどうしてもハンディを背負っていますので、今までもいろいろな力士たちが工夫を凝らして相撲を取っていましたね。
現在はNHKで大相撲解説者として活躍中の、「舞の海」さんが現役時代に立ち合いで「八双飛び」をしたりして場内を大いに沸かせました。

また現在大人気中の炎鵬関も、小さな体を十分生かして大きな力士と真正面から取り組んでいる姿は、感動的でもありますね。
照強関の得意技ですが、右前みつで投げを打つことですが、まわしに拘ることなく突き押しでも攻めることができるのが、強みになっています。
大きな力士の横に張り付いて、後ろに回り込んだりして勝利を挙げることも多いようです。
照強関には『角界一のおしゃべり』との評判があります。
力士養成員時代には、あまりのおしゃべりで自身が付き人を務めた先輩の力士から、口にガムテープを貼られたこともあったそうです。
陽気な性格であることが良く分かるエピソードですね。
それではここからは経歴をお伝えします。
生まれた時ですが、あの阪神淡路大震災が発生した15時間後に、洲本市内の兵庫県立淡路病院で生まれたそうです。
余震が続く中での出産だったとのことで、お母さんは大変な思いだったと思います。
小さい時からやんちゃぶりを発揮しましたが、三原町立八木小学校1年生の時に、柔道を習い始めました。
3年生になったときご両親が離婚し、母親が親権を持つことになりました。
福岡という姓は父親の姓ですが、これは姓名判断で決めたということです。
4年生に時にわんぱく大相撲大会に飛び入りで出場、2位になる大健闘をしています。
それがきっかけとなって地元の相撲道場に通い始めました。
南あわじ市立三原中学校へ進みましたが、在学中には全国大会でベスト16に入っています。
この相撲クラブはとても厳しくて、あるとき38度の熱が出たので稽古を休みました。
しかし、翌日の稽古で監督から竹刀で殴られ「熱が40度なら休んでろ、39度は見学、38度なら稽古したら治る」と言われたそうです。
高校へは進まず、大相撲に入門することに決めました。
道場の監督と師匠が知り合いだったことから、伊勢ヶ濱部屋(元横綱旭富士)に入門しています。
2010年(平成22年)3月場所で初土俵を踏んでいます。
5月場所では序ノ口に上がり7月場所では序二段に昇進、そこを2場所で通過し11月場所では三段目に上がっています。
ここまでは順調に地位を挙げましたが、翌2011年の1月場所では、入門以来初めて負け越しをしてしまいました。
その後も負け越したりしましたが、何とか頑張って2012年3月場所で、貴乃花や稀勢の里に次いで、平成以降では3番目の若さ(17歳1か月)で、幕下に昇進しています。
とてもよく頑張ったと思いますね。
しかしその後は中々上に行くことができず、苦しみましたが、2016年の11月場所、西幕下9枚目の位置で7戦全勝で幕下優勝を決めました。
優勝した後で照強はこう語っています。
「うれしいです。毎日毎日きつい稽古をしてきました。ご飯を食べることもつらくて吐きながら毎日食べました。頑張ってきた積み重ねがやっと報われました」と喜びの言葉を述べています。
何と1日100番近い稽古をしたそうです。
こうしてつかみ取った新十両だけに、喜びもひとしおだったことと思われますね。
伊勢ケ濱部屋から、中卒でたたき上げて関取に上がったのは初めてだそうです。
2017年1月場所では惜しくも7勝8敗で負け越してしまいましたが、なんとか十両に踏みとどまることができました。
3月場所では12日目で8勝を挙げ勝ち越しを決めて、最終的には9勝6敗で終えています。
しかし11月場所では自己最高の東十両9枚目で相撲を取りましたが、4勝11敗という成績に終わってしまいました。
2018年1月場所では西幕下筆頭に下がりましたが、4勝3敗で勝ち越しを決め、1場所で十両に復帰しています。
3月場所では千秋楽まで7勝7敗で行きましたが、千秋楽で徳勝龍に敗れ、勝ち越すことができませんでした。
その後9月場所では、自己最高位の西十両8枚目で頑張りを見せ、9勝6敗の好成績を残しています。
11月場所では11日目で9勝2敗と好成績を残し、もしかして優勝も考えられましたが、終盤で負けが込み最後には10勝5敗で終わっています。
翌年の2019年1月場所では、東十両筆頭でしたが、11日目で早くも勝ち越し、翌3月場所での新入幕を確定しました。
これはうれしいことだったと思います。
兵庫県からの新入幕は戦後25人目で、「勝つたびに淡路島で1人でも2人でも喜んでくれれば、平成最後の時に勝てて良かった」と郷土への思いを現していました。
その3月場所では10日目に負け越してしまい、最終的には6勝9敗で終わっています。
5月場所でも負けが多く同じく6勝9敗になりましたが、辛くも幕内に留まることができました。
そして7月場所を迎え、照強は俄然強くなりましたね。
何と14日目まで優勝争いに加わり、最終的には12勝3敗の素晴らしい成績を上げることができました。
その場所では三賞の「敢闘賞」を受賞しています。
そして2020年1月場所を迎えましたが、序盤から素晴らしい戦いを見せ、5日目まで無傷の5連勝を挙げています。
この勢いで行けばまた再び最後まで優勝争いに加われそうな気がします。
ぜひ今場所では優勝をしてほしいと願っています。
照強には好きな彼女はいるの?

それではここまで頑張っているてい照強関のプライベートについて見ていきましょう。
大相撲にはご存知の通り、特に最近は女性ファンが多くなっていますね。
そこで現在心に秘めている女性がいるのかどうか、気になるところを探ってみたいと思います。
色々と探ってみたのですが、残念ながら現在思っている女性はまだいないようですね。
このところ相撲内容もかなり充実していますので、上を目指している段階ですので、恋人どころではないかもしれませんね。
いずれ番付けの上位に落ち着いたら、もしかすると素敵な女性とのロマンスも芽生えてくるのではないでしょうか。
よくあるケースでは福祉大相撲などで、若い女性歌手と一緒に歌を歌ったりして、それがきっかけでお付き合いする、そして晴れてゴールイン。

そんな夢を見ているかもしれませんが、はたしてどうでしょうか。
初場所もいよいよ中盤に入り、これからの一番一番がとても大切になってきます。
体は小柄ですが、出足鋭く相手を圧倒する素晴らしい気力の持ち主ですから、あの大相撲解説者の北の富士勝昭さんも、照強関をすごく買っていますね。
若手力士の中では、今一番注目されている関取だと確信しています。
ぜひ優勝を目指して更なる活躍で、どんどん上を目指してほしいと念願しています。
最近は両横綱も休場に追い込まれ、世代交代が近いのではないかともいわれています。
このチャンスをぜひとも生かしてほしいと思います。
私もこれから千秋楽まで応援したいと思っています。
頑張れ、照強関! 初場所は優勝のチャンスだ! 横綱目指してガンバレ!
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