大相撲初場所は両国国技館において連日、白熱した戦いが行われています。
今場所の見どころといえば、新関脇に昇進した前乃山、大関でこのところ好調な貴景勝、前頭にあって人気絶頂な遠藤や炎鵬などの若手力士の活躍が、大いに人気を博していますね。
特に初日から2日間の大相撲を見て感じるのは、やはりこの遠藤関ではないでしょうか。
初日には横綱鶴竜関と戦い、見事に金星を挙げています。
2日目には先場所で大いに痛めつけられて、屈辱を味わされた横綱白鵬との一番で、見事に切り返しで白鵬を倒しました。
ここからは、二人の横綱を倒したことで、がぜん人気が出てきた遠藤関について、その素顔を見ていきたいと思います。
最後までぜひご覧ください。
遠藤はイケメン、結婚している?、嫁さんはどんな人?

最近の力士には、結構イケメンが多く存在していて、特に女性からの人気が高いようです。
遠藤関には昔から女性ファンが特に多かった気がします。
これまで大きなけがをしたこともあり、番付が下がってしまったときもありました。
それでも遠藤関は決して腐るようなこともなく、しっかりと怪我の部分を治しながら稽古を積み重ねてきました。
そのけなげな前向きの姿に、女性ファン(スー女)はたまらなく魅力を感じることが多いようです。
その遠藤関ですが、実は2019年の5月に、一般女性と結婚していたことが分かっています。
その際、埼玉県草加市にある追手風部屋を出て、結婚した女性と新しい生活をしたとの報道がありました。
お相手の女性については、一般女性ということもあり、あまり詳しい情報はありませんが、きっと遠藤関とお似合いの夫婦ではないかと思います。
一般的にスポーツ選手は結婚することで、一段と成績が上がることが言われていますね。
やはり考えるに生活が安定することで、食事面でのより向上と精神的な安定感が増えることで、ゆとりが出てくるのではないでしょうか。
そのプラスの成果がこのところの好調さによく出ていると思っています。
結婚を機に一段と強くなった遠藤関には、これからも多くのファンの心を引き付けるに違いありませんね。
遠藤関には独特な結婚観があったようで「ずっと青春を費やして犠牲にして相撲だけをやってきたわけで、どの時期もどの相撲も大事です」と語っていました。
土俵一筋に生きてきた遠藤だからこそ、この言葉が響いてきますね。
環境の変化がこころとからだをさらに大きくしていると思います。
更なる上位を目指して、ゆくゆくは日本人横綱まで上り詰めて欲しい、誰でもそう期待している力士でもあります。
頑張ってほしいと思います。
私自身の要望ですが、これからも永谷園のお茶漬けのコマーシャルに登場してもらいたいと思います。
あの笑顔いっぱいでお茶漬けを食べる姿は、とても魅力的ですからぜひ続けて欲しいと思っています。
遠藤の経歴、プロフィールは?

それでは改めまして遠藤の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
遠藤 聖大(えんどう しょうた)は、1990年(平成2年)10月19日生まれで29歳です。
石川県鳳珠郡穴水町の出身で、身長は184cm、体重は154kg、血液型はAB、追手風部屋所属の大相撲力士です。
得意技ですが左四つで、突きと押しが得意です。
現在は東前頭筆頭という地位にいますので、返り三役も目前の位置にありさらに上位を狙っています。
それでは経歴を見ていきましょう。
幼少期にあって遠藤は拗ねることが多くあり、礼儀作法や忍耐力を身に付けさせようとしてお父さんから、相撲教室に通わされました。
3日連続で連れていかれたことで、あきらめて習い始めたそうです。
小学生時代は相撲を習いながらもバスケット部にも所属していたとのこと。
漫画の『スラムダンク』にも影響されていたということです。
その後12歳の時には、親元を離れて金沢市に転住しました。
監督さんの家に住みながら週7回稽古を重ねました。
金沢市立西南部中学校へ進み、相撲部に所属し、中部日本選抜中学生相撲大会に出場、決勝まで進みその時後の栃乃里を破り、見事に個人優勝を果たしています。
団体戦でも優勝をしました。
当時の遠藤は性格も非常に明るくて、華があったそうです。
しかも運動だけでなく勉強熱心で成績もよかったようです。
普通の生徒に比べて3倍の握力がありました。
これは相撲だけでなくバスケットボールにおいても大きな武器となっていたために、他の運動部からも遠藤に入ってきてほしかったということです。
高校は金沢学院東高校へ進学、相撲部に所属しました。
3年生の時には高校相撲金沢大会と、選抜高校相撲十和田大会では、それぞれ見事に優勝を飾っています。
高校卒業後、日本大学経済学部経済学科に進学、1年時から団体戦のレギュラー入りをしています。
4年生の時には団体戦で主将を務めました。
個人戦では全日本相撲選手権大会で優勝し、アマチュア横綱になりました。
国体相撲青年個人の部Aでも優勝し、ビッグタイトルを2つも取得しています。
この見事な成績で、幕下10枚目格付出の資格を得ています。
アマチュア横綱を最後に高校教師やプロ入りなどの選択肢から、同じ故郷出身で日本大学の先輩、追手風親方(元幕内の大翔山)が師匠の追手風部屋に入門しました。
入門の際に行われた記者会見では、同じ日大出身で石川県出身の唯一横綱となった「輪島関」が目標であると語っています。
2013年3月場所における初土俵では、5勝2敗の成績に終わっています。
5月場所は東幕下3枚目で同じく5勝2敗で終えています。
7月場所では新十両に上がりました。
この時のエピソードとして、十両に上がったときには関取になるわけですから、それまで付けていた遠藤というしこ名を改める予定だったそうです。
しかし準備不足もあってしこ名を改めることを断念しました。
新十両で迎えた7月場所では、見事に14勝1敗の好成績を収め新十両での優勝を飾りました。
この新十両での14勝優勝という1950年の9月場所で米川(後の横綱である朝潮)以来、史上2人目で63年ぶりの快挙となりました。
幕下付け出しから史上最速となる所要3場所で新入幕が決まりました。
このように勝ち続けていることで、しこ名を本名の遠藤のまま新入幕を迎えています。
新入幕後には9月場所で「好事魔多し」の言葉通り11日目に勝ち越した次の日、12日目の徳勝龍戦で左足首を負傷してしまいました。
皆勤すればおそらく三賞を受けられそうでしたが、13日目の栃煌山戦でさらに悪化させてしまいました。
その結果「左足関節捻挫で約3週間安静加療を要す」という診断書が出されました。
その後、11月場所では2日目に宝富士線があり、左足の重傷を抱えた身で34秒4という長い相撲を取りました。
結局この場所は6勝9敗で幕を閉じ、入門以来初の負け越しを喫してしまいました。
当時、私はこの結果を見ていて、昔採用されていた「公傷制度」の復活を強く望んでいたことを思い出します。
本場所中に痛めたりして怪我を負った場合、次の場所の番付が下がらずに出られる制度でした。
しかし、この制度を悪用して、たいして悪くもないのに休んでしまい、地位を存続させるような力士が続出してしまい、その結果この制度は廃止されました。
その結果、大けがであってもじっくり治すことができず、無理を重ねて出場してさらに悪化させる力士が増えています。
これでは大相撲の人気もじり貧になることが予想されるため、何とか改めて欲しいと願っています。
遠藤関の話に戻ります。
2014年1月場所において遠藤関は、11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞しています。
初土俵から6場所での三賞受賞は、雅山関に続いて歴代2位となるスピード記録になりました。
2015年3月場所では5日目に松鳳山戦で突き落としで勝ちましたが、左ひざ半月板損傷と前十字靱帯損傷の重傷を負ってしまいました。
このケガで全治2か月を要すると診断され休場を余儀なくされました。
大きな怪我を直して2015年5月場所に出場しましたが、6勝9敗でしたが何とか幕内残留が決まりました。
これは大きなけがを負ったわりには順調な回復を見せてくれたので、多くのファンもほっとしていたと思います。
2016年1月場所では前場所で4勝11敗で大きく負け越たために、東前頭11枚目の低い位置で迎えました。
満身創痍の状態で相撲をとれず、結局は場所途中で休場、この場所は1勝どまりで3月場所では十両に転落しました。
2017年1月場所は惜しくも7勝8敗で負け越しました。
3月場所では8勝7敗で勝ち越しました。
5月場所では6勝9敗で負け越しました。
7月場所は全休で9月場所は10勝5敗の好成績を残しています。
11月場所では9勝6敗で勝ち越しました。
2018年1月場所では9勝6敗で勝ち越し、3月場所でも同じく9勝6敗で勝ち越して技能賞を獲得しています。
5月場所では小結に昇進し、新三役、6日目の御嶽海戦ではまたも負傷し右上腕二頭筋遠位部分断裂で7日目から休場しています。
結局3勝10敗2休に終わっています。
7月場所では前半で7勝1敗で好調でしたが、後半では失速、8勝7敗で辛くも勝ち越しました。
2019年1月場所は10勝5敗の好成績を残しました。
3月場所では西前頭筆頭まで位置を挙げています。
9月場所では西小結で8勝7敗で勝ち越し、11月場所では千秋楽で勝てば勝ち越しで関脇昇進も期待されましたが、惜しくも敗れ7勝8敗で負け越してしまいました。
以上、ここまで遠藤の経歴、プロフィールをお伝えしました。
初場所にかける思いと今後の展望は?

開けて2020年(令和2年)の1月場所では、最初にお伝えした通り鶴竜と白鵬の2横綱を破り、見事に初日から2つの金星を挙げました。
今場所はかなりやる気が満ちており、勝負検査役からも、白鵬戦では仕切りの時から目を相手から離すことなく、ぎらぎらと燃えるような目でにらんでいたそうです。
先場所において立ち合い時に白鵬から左の張りてと右からガツンと肘うちを食らって、鼻血を出してしばらく血が止まらなかったことが、よほど胸にこたえていたようでした。
そのリベンジに大きく燃えた結果、白鵬を仰向けにドスンと倒して勝利を挙げたことにつながった気がしますね。
今場所はこの勝利を起点としてぜひ優勝争いに最後まで残ってほしいと願っています。
初場所は1年の最初ということで、いつも以上に力士たちは張り切っていると思います。
「1年の計は元旦にあり」という言葉もありますが、1月場所はこれからの1年間を占う意味では、とても大事な場所です。
特に今年は7月から東京五輪が開催されますので、より大相撲の人気も高まることと予想されます。
ぜひ頑張って遠藤関の初優勝で賜杯を受けるところが見たいものですね。
皆さんで遠藤関に大きな声援を送ろうではありませんか。
ガンバレ遠藤聖大! 頑張れ遠藤! 初優勝を期待している!
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