現在行われている柔道世界選手権大会は、連日熱戦が繰り広げられていますね。
東京五輪2020への出場に影響することもあって、選手はもちろんのこと、ファンの間でも熱気がこもっているようです。
果たして東京五輪への出場切符は誰の手に行くのか、最後まで興味が尽きませんね。
スポーツのお好きな人はもちろん、あまり普段見ていない人も、やはりオリンピックは独特の雰囲気がありますから、関心の高いことが分かる気がします。
ここからはその中にあって、日本人に関心の深い柔道について、五輪への出場を目指しているベイカー茉秋選手について、最新情報を交えてお伝えします。
最後までお付き合いください。
ベイカー茉秋の経歴は?

柔道を始めたのは6歳の時でした。
講道館にある春日柔道クラブで習い始めたのですが、そのきっかけはピアノの教師からの勧めだったとのことです。
それまでは姿勢が悪かったので、教師の人から姿勢を矯正するには正座が良いこと、そして柔道がいいことから勧められたそうです。
同じクラブには1学年下にウルフ・アロンが、2学年下には朝比奈沙羅がいたということです。
今をときめく逸材が揃っていたんですね。
小学5年生の時、全国小学生学年別柔道大会の40kg級に出場しましたが、決勝トーナメント1回戦で、徳島県代表の大島優磨に敗れてしまいました。
その後中学3年生の時、都の予選で2位に入り、関東予選では3位に入る活躍をしています。
高校は東海大浦安高校へ進学、そこでは団体戦で戦うため監督から体力をつけるため1日7食の食事と、ウエイトトレーニングに取り組むよう指示され、それを実践しました。
その効果から66kg級から81kg級まで階級が上がりました。
2年生の時のインターハイでは個人戦で3位に入っています。
階級をさらに上げて90kg級になり、高校選手権での個人戦ではオール一本勝ちを収め、団体戦でも大将として後輩のウルフと一緒に、チーム初優勝の栄冠を獲得しました。
これは素晴らしいことだと思います。
高校3年生になり、7月に行われた金鷲旗高校柔道大会でも、見事に優勝しています。
8月にはインターハイ個人戦で初戦に大牟田高校3年の反町隆雄と対戦し、GSに入ってから有効勝ちを収めました。
この結果公式試合での一本勝ち連続記録が46で途絶えましたが、その後は一本勝ちを積み重ねています。
その結果これも見事に優勝し、団体戦でもオール一本勝ちを収める活躍で、高校3冠を達成する快挙でした。
この素晴らしい活躍に対して「高校柔道という一つの価値観に、全く違う世界から突然舞い降りてきた異星人である」と評する声も聞かれるほどでした。
その後2013年に東海大学へ進学、1年の時5月の選抜体重別の初戦では加藤選手に巴投で敗れてしまいましたが、6月の全日本学生柔道優勝大会ではチーム優勝に貢献しています。
初めてのシニア国際大会となったグランドスラム・東京では決勝で元世界チャンピオン、韓国の 李選手を大内刈の有効で破り、見事に優勝を勝ち取りました。
3年の時4月の体重別決勝で吉田選手を技ありで破り初優勝、世界選手権代表に選ばれました。
5月のグランドスラム・バクーでは、準決勝までオール一本勝ち、決勝ではオランダのノエル・ファントエンドを有効で破り優勝を飾りました。
4年の時、実績を考慮され2016年のリオデジャネイロ五輪代表に選出されました。
そのときのコメントでは「全ての思いを力に変えたい。井上監督がシドニー大会で金メダルを取る姿を見て、そこから五輪に憧れました」と語ったそうです。
そのあこがれのリオデジャネイロ五輪大会では、絶好調で迎えました。
2回戦でドイツのマルク・オーデンタールを背負落で破り、3回戦でもセルビアのアレクサンダル・クコリを合技、準々決勝でもフランスのアレクサンドル・イディールを合技で破っています。
決勝ではジョージアのヴァルラーム・リパルテリアニを大内刈の有効で破り、はじめての五輪で見事に金メダルを獲得しました。
素晴らしい活躍でしたね。
2017年4月からJRAの所属になりました。
リオ五輪以来8か月ぶりの試合で体重別での旭化成、小林悠輔との対戦で、古傷の右肩を痛めてしまい棄権負けをしました。
「初めて完全に脱臼した。東京五輪を目指すならば手術して今年1年を休養しようか、迷っている」と長期休養の可能性を示唆したそうです。
その後の検査で「右肩傷性肩関節脱臼」と診断され、手術をすることを決めました。
復帰まで8か月かかることになりました。
2018年2月、オリンピック以来1年半ぶりの国際大会であるグランドスラム・デュッセルドルフ大会に出場、決勝でロシアのミハイル・イゴルニフに小外刈で一本負けを喫し2位に終わりました。
11月の講道館杯では決勝で筑波大学3年の田嶋剛希と対戦、技ありを先取されましたが、GSに入ってから合技で逆転勝利をし見事に優勝を飾りました。
この試合後にこう語っています。
「最後は執念でした。リオ五輪の金メダル以上にうれしいです」
大きなけがをして手術をした後での優勝に、心の底から喜んでいる様子がうかがえますね。
以上、ベイカー茉秋の経歴をお伝えしましたが、いろいろなことを経験してきたことがよくわかりますね。
ベイカー茉秋のプロフィールは?
それでは改めてベイカー茉秋のプロフィールをお伝えしたいと思います。
ベイカー茉秋(べいかー ましゅう)は、1994年(平成6年)9月25日生まれで24歳です。
東京都千代田区の出身で身長は178cm、階級は90kg級右組手で段位は3段を取得、得意技は大内刈です。
お父さんはアメリカ出身でお母さんは日本人ですが、幼い時に二人は離婚しており、母親の下で日本で育ちました。
個人的なエピソードとして、音楽が好きで初めて買ったCDは、SMAPの「世界に一つだけの花」だそうです。
SMAPにあこがれていたそうです。
リオ五輪から帰国した際、関西テレビ・フジテレビの「SMAP×SMAP」内の「BISTRO SMAP」の収録に参加し、あこがれのSMAPメンバーと初共演をしたそうです。
その時の喜びは相当大きかったようです。
やはり金メダルを取れたことで、日本中の人たちから注目されるようになったことが、このようなことが実現したと思いますね。
ベイカー選手の温かい性格がよく表れていると感じましたね。
ベイカー茉秋の五輪の出場歴、成績は?
それではここからはベイカー茉秋の五輪の出場歴、成績を見ていきましょう。
ご存知の通りこれまでの五輪出場は、2016年のリオデジャネイロ五輪大会です。
90kg級に出場しましたが、先ほどもお伝えしたように大会へは浙江町で迎えることができたそうです。
試合当日の朝にステーキを平らげるほどの好調だったそうで、相当な好調ぶりがうかがえますね。
普通、大きな大会の前には緊張のあまり、なかなか食事ものどを通らないようですが、この時は絶好調だったんですね。
改めてリオデジャネイロオリンピックでの活躍を振り返ってみましょう。
初戦となる2回戦でドイツのマルク・オーデンタールを背負落で破りました。
3回戦ではセルビアのアレクサンダル・クコリを合技で破りました。
準々決勝ではフランスのアレクサンドル・イディールを同じく合技で破っています。
準決勝では中国の程訓ショウに終盤で指導を取られましたが、直後に大内刈の有効から袈裟固めで見事に逆転勝ちを収めました。
決勝前には緊張のあまり3度も嘔吐したそうですが、ジョージアのヴァルラーム・リパルテリアニを大内刈の有効で破り、初の五輪で見事に金メダルを獲得しました。
これは実に素晴らしい快挙といえますね。
監督の井上康生氏はこう語っています。

「ベイカー茉秋、恐るべしですね。強豪が次から次へと敗れましたが、彼が持つオーラがそうさせたのかもしれない。日本代表にとって新種の選手。人が持っていない柔軟性や力強さがあり、独特のやりにくさがあるでしょう」
実に素晴らしいコメントだと思います。
過去にオリンピックで金メダルを獲得してきた監督だからこそ、この言葉がいえるのではないでしょうか。
素晴らしい人材に巡り合えた幸せをよく物語っていると感じました。
さあいよいよ間近に迫ってきた東京五輪ですが、暑さの中での大会となりますね。
日本での自国開催ですから何としても出場選手には頑張ってほしいと思います。
皆さんで大きな声援を送りましょう。
頑張れニッポン! 金メダルを目指して頑張れベイカー茉秋!
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