堺屋太一の妻(嫁)、子供はどんな人?代表作品、著書は何?




団塊の世代という言葉を聞いてこの人を思い浮かべましたが、ご存知の作家であった「堺屋太一」さん(83)が、多臓器不全で2019年2月8日午後8時19分に都内の病院で亡くなられました。
 
堺屋太一さんは作家として知られているほか、民間から経済企画庁長官に招聘されたことでも有名となりました。
 
又、未来の予想にも大変を想像する学者ということでも有名で、まだポケットベルが中心だった通信機器に関しては、今はやりのスマホの機能を予測したり、遠い先のことを見通す能力の持ち主としても、大いに才能を発揮されました。
 
できればもっと長生きをしてこれから何十年先にヒットするであろう製品についても聞きたかったという思いがしています。
 
 

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堺屋太一の妻(嫁)はどんな人?

堺屋太一さんは1935年(昭和10年)7月13日生まれで大阪府大阪市の出身です。
 
堺屋太一という名前ですがこれはペンネームで本名は「池口小太郎」という名前です。
 
そのペンネームですが先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住したときの名前「堺屋太一」からとったとのことです。
 
東京大学経済学部を卒業後、1960年に通商産業省に入省しました。
 
1962年に出した通商白書で「水平分業論」を展開しました。
 
私たちも記憶に残っている1970年に大阪で開催された「大阪万博」では企画から実施に至るまでを担当しましたが、大成功に終わりました。
 
私も当時は東京から車で夜通し走って大阪万博の会場まで行って見学をしたことを思い出しました。
 
どこの会場も大勢の見学者でにぎわっていたことを記憶していますが、一番にぎわっていたのは「太陽の塔」で中々入場できず、長時間並んだ後にやっと入場ができましたが大盛況でしたね。
 
その後は沖縄開発庁に出向し1975年から76年に行われた「沖縄海洋博」も担当され成功を収めました。
 
まだ通産省に在籍していた1975年に「油断」という題名で作家としてデビューをしました。
 
その後発表した「団塊の世代」では1940年代に生まれた多くの人たちのことを名付けたものですが、今もその世代については社会に於いて中心的な存在となっていますね。
 
それと工業社会から「知価社会」への移行についてもその到来を予言し的中させています。
 
各役職にもついており、最大で14もの役職についていたこともあるほどの知識人でした。
 
まさにその時代の中心的存在として大いにその知識と経験を生かしてこられた大人物といえるでしょう。
 
 

堺屋太一の妻(嫁)は現役の画家?

その堺屋太一さんを支えてこられた妻(嫁)さんはどんな人だったのでしょうか。
 
さっそく堺屋太一さんの奥様について調べてみました。
 
1975年(昭和50年)に結婚しましたが、奥さんは池口史子(いけぐちちかこ)さんで、今も現役の画家をされて活躍中だということが分かりました。
 
画家としてどんな作品を出しているのかは残念ながら分かりませんでしたが、おそらく堺屋太一さんの多彩な活動を陰から支えてこられた、立派な奥様だったのではないでしょうか。
 
 

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堺屋太一の子供はどんな人?

一方堺屋ご夫妻にお子さんはいたのかどうかですが、ほとんどどの情報を見ても、子供さんのことは出ていませんでした。
 
一般の人でもあるので個人情報保護の関連で出していないかもしれませんので、正直なところ不明です。
 
 

<堺屋太一の代表作品と著書は?>

ここで再度堺屋太一さんの代表作品とその著書について見ていきたいと思います。
 
尚、ここからの情報ですがウイキペディアから一部引用させていただきます。
 
[著作集]
 
『堺屋太一著作集』(東京書籍)
 
 ・第1巻 油断!団塊の世代 2016
 
 ・第2巻、3巻 巨いなる企て 2016
 
[本名 池口小太郎での著作]
 
『EEC その経済と企業』(日本能率協会 1962)
 
『日本の地域構造 地域開発と楕円構造の再建』(東洋経済新報社 1967)
 
『日本の万国博覧会 その意義・計画・効果』(東洋経済新報社 1968)
 
『万国博と未来戦略 ビジネスマンのためのガイド』(ダイヤモンド社 1970)
 
[予測・現代小説]
 
『油断!』(日本経済新聞社 1975)(文春文庫と日経ビジネス人文庫)
 
『団塊の世代』(講談社 1976)(文春文庫)
 
『破段界』(実業之日本社 1976)(文春文庫)
 
『ひび割れた虹』(日本経済新聞社 1978)(文春文庫)
 
『世紀末の風景』(文藝春秋 1985)(文庫)
 
『向かい風の朝 小説・空港国際競争』(朝日新聞社 2002)(朝日文庫)
 
『平成三十年』(朝日新聞社 2002)(朝日文庫)
 
『活断層』(幻冬舎 2006)
 
『団塊の秋』(祥伝社 2013)
 
[歴史小説]
 
『巨いなる企て』(毎日新聞社 1980)(文春文庫)
 
『峠の群像』(日本放送出版協会 1981~82)(文春文庫)
 
『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』(PHP研究所 1985)(文春文庫)
 
『鬼と人と~信長と光秀~』(PHP研究所 1989)(文庫)
 
『俯き加減の男の肖像』(新潮社 1995)(文庫)
 
『秀吉 夢を超えた男』(日本放送出版協会 1996)(文春文庫)
 
『世界を作った男 チンギス・ハン』(日本経済新聞社 2007)(日経ビジネス人文庫)
 
『三人の二代目』(講談社 2011)
 
 

書ききれないほど多数の著作あり

その他にも小説以外の社会評論など多数ありますが省略させていただきます。
 
その他にも他の作家との共著作品や翻訳著書なども多数の作品を残されています。
 
本当に驚くほど多数の著作が残されていることにただ驚いてしまいました。
 
まだまだ書ききれないほど、堺屋太一さんの頭の中には書きたいことがいっぱいあったのではないでしょうか。
 
まさしく「知の巨人」といえるほど素晴らしい作家であったことを今回調べてみて改めて知らされました。
 
急に亡くなられたことは、これからの日本にとって大きな打撃であったと感じています。
 
これからはすこしでも多くの著書を読んで堺屋太一さんが言いたかったであろう様々な考えについて、自分なりにひも解いてみたいと考えています。
 
 



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