サッカー界で今一番話題になっているといっても決して過言ではない選手は誰でしょうか?
それは中島翔哉選手ですね。
2019年2月3日にそれまで所属していたポルトガル1部リーグのプリメイラ・リーガのポルティモネンセSCからカタールのスターズリーグでアル・ドゥハイルSCに、完全移籍が発表されました。
その際に発表された移籍金額に圧倒されましたが、何と3500万ユーロ(日本円で約43億7500万円)といく破格といってもいい金額です。
この金額はそれまで日本人選手では最高額だった、あの中田英寿選手が2001年に移籍した際の移籍金額、日本円で約32億円をはるかに上回る、日本人での最高額になりました。
現在、その移籍先であるカタールのスターズリーグでアル・ドゥハイルSCに所属して、FWの中心選手として大活躍中です。
そんな中島翔哉選手ですが、プライベートについてはどうなっているか見ていくことにしましょう。
中島翔哉の両親はどんな人?
中島翔哉は1994年(平成6年)8月23日生まれで東京都八王子市の出身です。
実は中島翔哉の両親は離婚していたことがわかりましたが、お父さんについての情報などは全く分からないのが実情です。
おそらく6歳ですからまだあまり何もわからないまま、両親がそれぞれの生きる道を求めて離婚ということになったものと思われます。
きっと小学1年生時ですから、中島少年の心の内は寂しさで充満していたことと察します。
一番親と遊びたい盛りの小学校低学年で、父親がいない生活になってしまったわけですから、寂しくないはずがありませんね。
それ以後はお母さんが引き取っての生活になりました。
中島翔哉は母子家庭だったの?
そんな両親の離婚ということにもめげずに中島翔哉はサッカー少年として、懸命に努力をしました。
当時は母親の勧めで2つのサッカースクールとフットサル教室に通っていました。
そして2004年(平成16年)、10歳の時から東京ベルディ下部組織に加入し、中学校の時にはサッカー留学としてブラジルへ行っていましたね。
2010年には国体で東京都選抜選手として優勝に貢献しました。

サッカーが中島翔哉の生きがい
時は流れて2012年、初めてサッカープロ選手として東京ベルディに所属、チーム内でも活躍をしました。
2014年にはFC東京に完全移籍をし、以降他のチームへ移籍などを繰り返しています。
そしてサッカー日本代表メンバーにも選出されたことも中島翔哉にとっては大きなイベントの一つです。
2011年(平成23年)17歳以下のU-17日本代表メンバーに選出されU-17ワールドカップに出場し、準々決勝戦で強豪ブラジルと対戦し、相手チームの空いたスペースをうまく突いて得点を挙げました。
そして2014年(平成26年)には、手倉森誠監督が率いた日本代表に選出されリオデジャネイロオリンピックを目指しました。
同年1月開催されたU-22アジア選手権ではエースナンバー10を付けて出場し、切れ味鋭くドリブルによって突破し、このチーム最多の3得点をマークしましたが、そのするどいドリブルによって、一躍名前が知られることになりました。
2016年(平成28年)1月にはAFCのU-23選手権でイランとの準々決勝戦で2得点を挙げて勝ち抜くと、決勝戦では宿敵韓国相手に堂々と挑み、浅野拓磨選手に最高のアシストをするなど、相手に負けない運動量により見事に初優勝、大会MVPに選出されましたが、素晴らしい結果となりました。
中島翔哉の実家の情報も調査!
小さいころに両親が離婚をしてからはお母さん一人に育てられていますが、やはり家庭的に特に経済的には苦労されたようですね。
しかし中島青年はそんな境遇の中でもサッカーやフットサルで技術を磨いていきました。
家に帰ってからも近所の公園で愛犬を連れていきドリブルの練習を繰り返すなど、どんどんサッカーがうまくなっていきました。
このエピソードを聞いた時私は原口元気選手のことを思い出しました。
原口選手も小さいころに近所の公園で実家で飼っていた愛犬と一緒にドリブルの練習を繰り返していたそうで、それがきっかけでドリブラーとして大活躍しましたね。
やはり愛犬との練習は、相手がどう動いてもその瞬間自分がどう動けばいいかが、瞬時にわかって相手をかわしながらスピードを上げる練習ができるという利点があるようです。
素晴らしい練習を積んできたことが分かります。
中島翔哉の実家はどんな家?
ところで中島翔哉選手の実家ですがどんな感じだったのでしょうか。
先ほども少しお伝えしたようにお母さんが懸命に働いてくれたおかげでサッカーに集中できたということですから、その苦労に何とかこたえたい一心だったと思います。
借金を背負いながらいくつかの会社勤め、そして勤め先会社の倒産にも逢ったそうです。
そのお母さんの苦労に何とか恩返しをしたいと考えていた中島翔哉選手は、ついにその夢を実現しました。
それは高校3年生に時にお母さんとの約束で「いつか大きな家を買ってあげるね」と話したそうです。
そしてそれから4年後オリンピックメンバーに選出された7月1日に母親には内緒にして都内の一戸建ての家を買ってビッグなプレゼントをしました。
本当に親孝行な中島翔哉選手だと感心させられました。
きっとその時のお母さんの気持ちは、苦労してきたかいがあったという喜びで胸がいっぱいだったと思います。
この素晴らしいエピソードを見ても、素晴らしい人間性をもった最高の男である!とつくづく思わされましたね。
日本のサッカー界は今まで以上にアジアはもちろんのこと、世界中からも注目される存在になりました。
それも中島選手など若い才能のあふれた選手層の厚さだと思います。
うかうかしていると日本代表メンバーから外されないとも限りません。
それが選手同士で切磋琢磨につながってよいチーム作りにつながっていくものだと思います。
アジア杯では惜しくも決勝戦でカタールに1対3で敗れてしまいましたが、来る2022年のFIFAワールドカップカタール大会に向けて来年からいよいよアジア地区予選も始まりますね。
カタール大会は2022年11月21日から12月18日まで開催されること、しかも大会史上初の「冬開催」と報道されましたが冬場でのサッカーってどんな感じになるのかちょっと楽しみですね。
そして参加チーム数も、今までの32か国から48か国に増えるそうですが、いずれにしてもアジアでの地区予選は激戦となる見込みですね。
大会までの日程でどこまで日本代表チームが力を発揮してくれるか、多くのサッカーファンも期待に胸が弾むことでしょう。
中島翔哉選手にももちろん、より一生懸命練習や大会に挑んでその実力を大いに発揮して欲しい、地区予選で勝ち進み本大会では日本代表としてカタールの地で思いっきり動き回って相手チームのDFをかわしてゴールラッシュを重ねて欲しいと念願しています。
頑張れサムライニッポン! ガンバレ中島翔哉!
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