2020年の東京オリンピック、パラリンピックまであと1年半に迫ってきました。
現在も各競技場の新設や改装工事などを急ピッチで行っているとのテレビ報道がありましたね。
オリンピックについてはいろいろな場面で宣伝されていますので、当然盛り上がりを見せています。
一方パラリンピックについてはあまり大きく宣伝されていない気がします。
はっきりいってあまり浸透していないような気がしてなりません。
2019年1月30日のテレビ朝日「報道ステーション」で「テラせニッポン!」と題して、ただ一人の車椅子フェンシング日本代表選手ということで、櫻井杏理選手が取り上げられていた時、偶然でしたが最後まで見入ってしまいました。
その車椅子フェンシングにおいて日本代表選手として現在活躍されている、櫻井杏理さんについて、その人の経歴やパラリンピックにかける思いなどをお伝えしたいと思います。
櫻井杏理の経歴は?
櫻井杏理さんは1988年(昭和63年)11月15日生まれで出身地は京都府です。
小さい時からスポーツが好きだったそうですが、特に陸上競技が好きだったとのことです。
そんな櫻井杏理さんでしたが、20歳の時に椎間板ヘルニアの手術を受けた際、術後に車いすの生活を送らざるを得なくなってしまいました。
この椎間板ヘルニアというのは、私も若いころに一度重いものを持ち上げた際に、腰を痛めてしまい、入院しましたがとても痛みを伴う病気です。
立っていられないくらいで、私の場合は1か月間歩くこともできませんでした。
入院したとき同部屋の男性の患者さんと話をしましたが、その人は車による事故がもとで、脊椎損傷を起こしたため車いす生活yになったそうです。
歩くことが困難になるためその日から今までのような生活ができず、思うように動くことができないつらさに、日々暗い生活を送ることになったそうです。
私の場合は1か月間の安静と痛み止めの注射などで回復し退院できましたが、その人はこれからも長い入院生活を送ることになるということでした。
この椎間板ヘルニアの手術ですが、手術の最中に少しでも背骨を通っている中枢神経を傷つけてしまうと、下半身不随になり自分で歩くことができなくなってしまいます。
想像ですが櫻井杏理さんももしかすると、手術中の事故で下半身が動かなくなってしまったのかもしれませんね。
しかしそんな障害を負ってしまった後もサーフィンやチェアスキーにも挑戦し続けたくらい、スポーツが大好きだったとのことです。
車椅子フェンシングという競技に出会ったのは、櫻井杏理さんが2014年の9月にアウトドア用品店に勤務していた際、同協会事務局長をされていた原田かの子さんとの出会いがきっかけだったということです。
以来その車椅子フェンシングに夢中になり、競技を開始してわずか半年後には、ナショナルチームに入りました。
あまり日本ではこの協議をする人がいないため、大会は海外が主体となったため、活動資金を得るために大阪の日阪製作所に入社しました。
ここまでの車椅子フェンシング大会での成績は以下の通りです。

2015年のワールドカップポーランドでは、フルーレで18位でした。
同年のワールドカップフランスでは、フルーレで19位、エペでは21位でした。
同年のワールドカップUAEでは、フルーレで14位、エペでは15位でした。
2016年のワールドカップハンガリーでは、フルーレで17位、エペでも17位でした。
同年のIWASアジア車いすフェンシング選手権大会ではフルーレで6位、エペで5位でした。
以上が国際大会でほとんど外国で行われていることが分かりますね。
一方国内大会では2016年の車いすフェンシング日本選手権大会では、見事に優勝を果たしました。
以上、日本国内より海外での実績が豊富な櫻井杏理さんの経歴をお伝えしましたが、いかがでしょうか?
とても頑張り屋さんで自分が今の状況に対してあきらめることなく、常に上を目指している姿がとても印象的で素晴らしいと思いますね。
櫻井杏理の学歴は?
櫻井杏理さんの学歴についても少し触れておきたいと思います。
小学校および中学校については残念ながら不明でした。
櫻井杏理の卒業は90年の名門校
高校は国府台女子学院高等部を2002年に卒業されていることが分かりました。
この高校ですが千葉県市川市にある大正15年創立で90年以上も経過している、仏教精神にもとづく情操教育を目標に、創立以来2万人を超える卒業生を社会に送り出しているという名門校です。
その高校を卒業された櫻井杏理さんですから、他人を思いやる仏教精神が培われているのはある意味必然だと思います。
車椅子生活は本人でないとわからない辛さや苦しみがあるはずですが、あまりそのことを出すことなく、真剣に車椅子フェンシングという競技に取り組んでいる姿は、私も感動しました。
櫻井杏理は最強ベベに勝てる?
そんな櫻井杏理さんが今最大の目標にしていることがあります。
それは2020東京パラリンピックに出場し、宿敵ライバルともいえる最強の選手、「ベベ」選手に勝利することだとはっきり宣言しています。
さきほどお伝えしました報道ステーションの番組内で、日本では練習する場所がないため、練習はすでに廃校となっている京都市立山王小学校にて行っているそうです。
夜間の練習時は、節電のため廊下が消灯されて真っ暗なので、トイレに行くときはコーチのひとに一緒に行ってもらい待っててもらっている、と笑顔で語っていたのが印象的でしたね。
尊敬するベベに勝ちたい!
その挑戦するベベ選手は、「ベアトリーチェヴィオ」という名前のイタリア代表選手です。
この選手はリオデジャネイロパラリンピックで金メダルを獲得しました。
この選手は病気によって車いす生活の上、両手も病気で失ってしまいましたが、不屈の精神力と高い技術で車椅子フェンシング界のトップを行く選手です。
その相手に対して、櫻井杏理選手は「車椅子フェンシングの魅力は、上半身だけしか動かせない競技で、相手との駆け引きが一番の魅力です」と語っていました。
そのベベ選手も最近櫻井杏理選手は今までよりも強くなってきていることを認めていました。
お互いにライバルであり、かつ共に心を分かち合う大切な友人でもあるわけで、櫻井杏理さんもベベさんを尊敬の目で見ているそうです。
残すところあと1年半に迫ってきましたが、何とか目標であるベベ選手に勝利して、最高の金メダルを獲得してもらいたいと、強く念願しています。
皆さんもぜひ車椅子フェンシングの試合を見てください、そして力いっぱい戦っている櫻井杏理選手をみんなで応援しようではありませんか!
頑張れニッポン! ガンバレ櫻井杏理! 目指せ金メダル!
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