小沼健太はロッテで佐々木朗希と大の仲良しだった?、トレードで巨人へ移籍 登場曲と年俸は? 多くの人から慕われてきたって本当?【プロ野球】




プロ野球もオールスターを挟んで後半戦へ向かってさらに厳しさを増していますね。

果たして最後に笑うのはどの球団でしょうか?

現在は各チームでより強さを増すべく、人材の補強にも力を入れています。

トレードも盛んにおこなわれ、新天地で活躍を期待されている選手も、数多く出てきています。

ここでは、ロッテと巨人の間で行われた1対1のトレードで、ロッテの投手だった小沼健太選手に注目、どんな選手なのか、今までの成績や、これからの活躍に期待することなどをお伝えしていきたいと思います。

最後までじっくりご覧ください。

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交換トレードのその後について

2023年7月3日、ロッテで3年目を迎えた投手、小沼健太は巨人へのトレードが決まった。

ZOZOマリンスタジアムでそれを聞いた小沼は、リリースされた後、一塁側のロッカールームに足を運んだ。

試合のない月曜日、ロッカー内は閑散としていたが、先発登板に備えた2人の投手の姿があった。

西野勇士佐々木朗希である。

小沼自身の口から移籍が決まったことを告げられると、二人とも目を丸くして驚いた。

西野はエールを送り、佐々木は寂しい思いを何度も口にした。

その時の模様はマリーンズ広報室のTwitterに動画でアップされ、ファンから大きな反響があった。

そして小沼がロッカーから去っていく姿を「寂しいです」と本当に名残惜しそうに見つめる佐々木の姿があった。

「もう、いいよ。ありがとう。頑張れよ」と照れながら手を振る小沼。その映像は多くのファンの心に残った。

小沼健太ってどんな人?

同じチームにいたので二人はよく一緒に食事をした。

寮の中や遠征先ホテルの食事会場、試合前の球場内食堂などで。

佐々木が昨年の1月にインスタグラムを開設したが、その際、あまりやり方がわからなかったそうだ。

苦労しながらやっていた時に、投稿のやり方などを丁寧に教えてくれたのが、小沼だった。

佐々木は言う。「すごく丁寧に教えてくれたのが、印象に残っています。いつも優しく見守ってくれているような人。本当にやさしい先輩です」と寂しそうに語っていた。

小沼はその優しい人柄から、多くの後輩選手たちから慕われていた。

小沼を慕う仲間のことについて

トレード発表があった翌日、7月4日の西武ライオンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)。

5番・右翼でスタメンで出場した山口航輝は、第1打席で小沼がマリーンズ時代に登場曲として使っていた、Little Glee Monsterの「はじまりのうた」を使って打席に立った。

惜別の思いが詰まっていた。

試合後、山口選手は「小沼さんの登場曲を使ったら打てませんでしたよ!」と連絡を入れると、「悲しすぎて涙が出てきて、ボールが見えなかっただけだろ。分かっているよ」とすぐに返信があったそうだ。

そんな二人の仲だった。

山口にも忘れられない思い出がある。

まだ寮生だったプロ3年目の12月。共同の洗濯機にバスタオルなどの洗濯物を詰め込んだまま、実家のある大阪へ帰省してしまったそうである。

「実家に帰ってから思い出した山口は”しまった”と思った」と当時を恥ずかしそうに振り返った。

しかし、年明けに寮に戻ると、先に寮に戻っていた小沼が洗濯機を回し、キレイに干してくれていたそうである。

後輩がうっかりして忘れた洗濯物をである。

あまりの優しさに驚いて平身低頭謝ると「いいよ。いいよ」と照れくさそうに笑っていたそうである。

ちなみにトレードが決まった前日も、山口選手の自宅でたこ焼きをほおばり、夜遅くまで時間を過ごしたとのこと。

その翌日に小沼はトレードを言い渡された。

山口も「めちゃくちゃ寂しい。休日もずっと一緒にいたので。でも、本当に頑張って欲しいです」と別れを惜しみ、先輩の小沼の新天地での活躍にエールを送った。

小沼は後輩だけでなく投手コーチからも、別れを惜しまれた。

黒木知宏投手コーチとのつながり

黒木知宏投手コーチである。黒木コーチは現役を引退した後も、今でも体を鍛えているが、遠征先などで試合後に、寄宿舎の近隣のジムに足を運ぶと、いつも小沼選手の姿があったそうである。

「試合が終わってジムで顔を合わせる選手はそんなに多くない。でも小沼はよく見かけた」と語る。

デーゲームでもナイターでも試合後にウェートトレーニングをしている姿は、すごく印象に残ったそうである。

「細かい身体の動きのために細かく鍛えていた。黙々と取り組んでいた。その姿は目に焼き付いている」と目を細めた。

そして「必ず、どこかでそういう努力は報われる。野球の神様は見ているし、やり続けることでご褒美はある」と語っている。

黒木コーチはトレードがリリースされ、小沼選手に電話をすると「155キロを投げ切れる投手になれる様に頑張ってきます」と、本人から威勢の良い言葉が聞けたそうである。

現在152キロのストレートを投げ切ることができるが、黒木は常に「155キロ以上、常時投げることができる投手である」といい続けてきました。

さらに「もっと、圧倒的な投球ができる可能性を秘めた投手。手足も長いし、190センチ近い長身で、筋力アップをすれば、もっともっと高みを目指せる数少ない投手」とも語っている。

トレードの翌日も、ジャイアンツでの入団会見を終え、ZOZOマリンスタジアムに挨拶に来た際も「155キロを投げる投手として、日本シリーズの舞台で再会できる事願っているよ」とエールを送って送り出したそうである。

「この世界は広いようで狭い。野球の縁は繋がっている。すぐにこのグランドで会える日が来る」、去っていく後ろ姿をずっと見続けていた黒木投手コーチは、そうつぶやいた。

佐藤都志也捕手とのつながり

まだ別れを惜しむ選手がいた。小沼のボールを受ける機会が多かった佐藤都志也捕手である。

小沼がイースタンリーグでセーブ王に輝いた2021年、二軍で小沼が初めてセーブを挙げた試合でマスクを被った。

元々共通の知人がいたこともあり、小沼がロッテ入りする前から顔見知りだったそうである。

昨季前には「初勝利をしたら好きな財布を買ってあげるよ」と約束を交わした。

すると2022年5月26日のセ・パ交流戦(広島カープ戦)では、中継ぎをした小沼投手に勝利投手の権利が転がり込んだそうだ。

もちろんマスクは佐藤が被っている。

「このまま勝ったら財布を買わなくっちゃと思いながら、リードしていましたよ」と笑った。

その財布であるが、遠征先の大阪で二人一緒に買いに行った。

「ストレートとフォークがあって、コントロールがいい投手です。キャッチャーとして組みやすい投手でした」

「縁のあった投手との別れである。別れ際には「財布、これからも変えるなよ」と笑顔で送り出した。

そして「寂しいけどチャンス。オマエはストレートを両サイドに投げ切るのが持ち味。いいところで投げさせて貰えるように頑張れよ」と励ました。

大きくうなずいて小沼は新天地へと旅立った。

小沼は巨人の入団会見の席で「優勝した時に小沼が入って良かったと言われるようになります」と力強く語っている。

選手だけでなく多くの人たちから愛され慕われていた選手だった。

誰もが新天地での今後の活躍を願い、そして楽しみにしている。

「いい人で、努力の人で、ポテンシャルの高い選手」

あだ名は「ハンチョウ」。漫画「1日外出録ハンチョウ」の主人公に似ているからで、これは先輩の東條大樹投手が名付けたそうである。

小沼自身もこのあだ名が気に入っており、自分のグラブには「ハンチョウ」と刺繍を入れたとのことである。

そんな小沼をマリーンズの誰もが大好きだった。

多くの仲間たちに見守られながら新天地で新たな野球人生が始まるのだ。

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小沼健太の球歴は?

それでは最後になりましたが小沼健太選手のこれまでの経歴についてお伝えしましょう。

小沼 健太(おぬま けんた)は、1998年6月11日生まれで25歳です。

千葉県旭市の出身で、身長は189cm、体重は86kg、右投げ右打ちの投手で、現在は読売ジャイアンツに所属している選手です。

主な球歴をご紹介します。

千葉県立東総工業高校-武蔵ヒートベアーズ17~18-茨城アストロプラネッツ19~20-千葉ロッテマリーンズ21~23途-読売ジャイアンツ23途~ となっています。

野球を始めたのは旭市立飯岡小学校3年生から、銚子リトルではじめ、主に投手でした。

高校は千葉県立東総工業高校に進学、主に中継ぎ投手としてプレーしていました。

甲子園には行けず、関東大会にも出られませんでした。

高校を卒業後、1年でも早くプロに行けるとの理由で、BCリーグの「武蔵ヒートベアーズ」に入団しました。

この時は2年間で6勝12敗、防御率は5.88という成績でした。

2019年に移籍をし、新設された茨城アストロプラネッツでは先発として137投球回、防御率は3.68を記録しています。

3勝14敗に終わりましたが、3完投、2完封を達成しています。

2020年は肘の違和感があり中継ぎに転向しました。

主に抑えで25試合に登板、0勝3敗2セーブ、防御率5.34という結果でした。

それでも中継ぎになったことでストレートの球速が伸び、これまでの自己最速を4キロ更新する最速151キロをマークしています。

9月30日には東京ヤクルトスワローズの二軍チームと対戦、スカウト陣の注目を集め、調査書が6球団から集まっています。

今まではどこからも調査書が届かなかったのですが、やはり実績が伴ってくると違うんですね。

そして2020年10月26日に行われたドラフト会議では、千葉ロッテマリーンズから育成2位で指名されました。

11月25日、支度金として300万円、年俸300万円(いずれも推定)で契約に合意しました。

背番号は「121」です。

なお、アストロプラネッツからNPB入りした選手は、小沼選手が初めてです。

2021年は開幕から二軍で抑えを任されました。18セーブを記録、イースタン・リーグの最多セーブ投手賞を受賞しました。

おめでとうございました。

2022年は一軍での出場が増えています。

そして3月22日、晴れて支配下登録され、背番号は「50」に決まりました。

3月29日に初の一軍昇格、30日のソフトバンク戦では1点ビハインドで8回表にプロ初登板を成し遂げています。

2回を1安打無失点に抑える記録を残しました。

結局この年は21試合、1勝1敗1ホールド、防御率は6.04に終わっています。

2023年は5月18日に一軍に昇格、2試合に登板しそれそれ1回を無失点に抑えています。

しかしながらその後は調子を落とし6月29日に登録抹消、7月2日時点で一軍では4試合、防御率は9.00と冴えませんでした。

そして運命の時がやってきました。

2023年7月3日、巨人の石川慎吾選手との間でトレードが行われたのです。

ロッテに在籍中の話ですが、昨シーズンの終盤、当時はロッテのファームでなかなか成績が上がらず苦しんでいました。

そんな時、2軍の監督だった鳥越氏からある課題を申し付けられました。

それは「サファテを見ておけよ!」との言葉でした。

サファテという選手ですが、プロ野球では歴代5位となる通算234セーブをマークした「キング・オブ・クローザー」との異名をとった抑え投手です。

それまで精神面でなかなかうまくいかなかった小沼投手でしたが、力業で相手打者をねじ伏せる強気な投球をするサファテ投手を、見習えということでした。

小沼選手は、映像を見る限りでは『打てるものなら打ってみろ』っという感じで抑えをしている場面をよく観察しました。

当時は鳥越監督からも「打ってみろよという気持ちでマウンドに上がっているか」と言われていたそうです。

イースタンリーグでは18セーブという記録を持ち、セーブ王に輝いた小沼投手でしたが、1軍では21試合で防御率は6.04と情けない数字を残していました。

そんな小沼投手に対して、鳥越監督は辛抱強く指導を続けました。

何度も壁に突き当たったのですが、打開策を示してくれたのです。

左肩の開きを抑えようとする意識が強いため、右腕が滑らかに振れなくなっていたのです。

改善策として、球を手放してから一塁側に体を倒す、これを意識的に行ったのです。

この投げ終わりは、鉄壁である守護神サファテ投手と同じです。

巨人へ移籍後、どれだけ大きく右腕を振れるか。最後は右目だけでキャッチャーを見るイメージです。現在は巨人のイースタンで、ネットスローから段階を経て足場を固めて、1軍に呼ばれる時を待っています。

「球団は変わってもやること、目標は変わりません。重要なポジションで投げていきたいです」と25歳の小沼投手は力強く宣言しました。

小沼健1軍では太の特色は?

189cmの長身から繰り出される最速151キロのストレート、スライダー、カットボール、フォークが球種です。

特にスライダーは武蔵に在籍中当時の監督だった小林宏之から指導を受けて身につけたものです。

以上、ここまでは小沼健太選手の経歴におついてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

大いに活躍を期待したいですね。

頑張れ、小沼健太! ロッテで培われたその投球技術を、大いにこれからもっともっと発展させ、巨人の優勝に向かって、大輪を咲かせてくれ!



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