ここまでセリーグの首位を独走中の巨人ですが、ここへ来てトレードが盛んにおこなわれていますね。
これだけ勝ち星が先攻しているにもかかわらず、なぜトレードに走っているのでしょうか。
ここからは先日衝撃的なトレードにより、古巣の巨人から千葉ロッテにトレードをされた、沢村拓一にスポットを当て、トレードの理由やこれまでの成績、背番号、プライベートに関することまで最新情報を織り交ぜてお伝えします。
まだ暑い最中ではありますが、冷たい飲み物などでのどを潤しながら、最後までご覧ください。
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沢村拓一はなぜトレードに出されたのか?
早速ですが今回のトレードは何故行われたのか、その実態に迫ってみたいと思います。

交換トレードはお互いの球団同士で話し合って、なかなか試合に出ることが難しい選手に対して、新天地に行くことで出番の機会を増やしてあげること、そして交換で獲得した選手が、自軍にプラスになるようにするために行われますね。
今回の巨人とロッテの場合を見ますと、巨人は左の強打者、特に長距離打者の数が少ないことを挙げています。
一方、ロッテですが現在はパ・リーグ2位に付けており、このところ好調な試合を展開中ですが、やはり試合日程がきついこともあって、中継ぎ投手陣が疲弊してきたことが挙げられます。
今季は特別な試合日程であり、120試合ということと同一チームと同じ球場で6連戦が組まれるなど、超変則的な試合のスケジュールとなっています。
先発投手の頑張りがこれからもかなり要求されてきますが、現状ではかなり厳しくなっているのも事実です。
そこで白羽の矢が立ったのは、中継ぎの投手の層を厚くすることで、勝てる試合づくりをすることではないでしょうか。
よく耳にする言葉ですが「勝利の方程式を創る」ということですね。
今回巨人では球速は素晴らしいものがあり、過去において大活躍をしてきましたが、最近は制球難などで出番が少なくなり一軍から降格して二軍、更には三軍まで落ちてしまった、沢村拓一投手です。
この沢村投手ですが、入団当時は先発を任されることが多かったのですが、その後抑え投手として活躍をしたり、中継ぎとしても活躍をしてきました。
しかし、一度歯車が狂ってしまうと、なかなかストライクが入らなくなり、四球を連発して自滅することが増えていました。
しかし二軍で監督をしている中央大学の先輩でもある阿部慎之助監督からは、何とか沢村投手をまた一軍で活躍できるようにしてあげたい、との思いは誰よりも強いものがある気がします。
このまま巨人に残ったとしても、はたしてどこまで再起できるか、現状ではかなり困難な気がしたのではないかと想像されます。
それを打破して新しい環境に自分の身を置くことで、何かをつかむことができるのでは?との思いから今回のトレード話が出たのではないでしょうか。
巨人とロッテ両軍の思惑が一致?
そんな思いとロッテの中継ぎ陣の層を厚くしたい井口監督の思いが、バッチリと合致したのです。
巨人にとっても、左の打者はかなりいますが、年齢的に見てもかなり上になってきています。
若い左の長距離打者、強い打球で思い切り引っ張ることができるような打者を望んでいました。
今までロッテに在籍していた香月一也選手は、あの高校野球の名門校である「大阪桐蔭高等学校」から、ドラフトでロッテに入団し6年目を迎えています。
プロに入ってからははっきり言ってなかなか活躍ができませんでした。
打率やホームランも低迷しがちでしたので、なかなか一軍での出場機会を得ることが難しかったのです。
年齢は岡本和真選手と同じですから、まだまだこれから先が楽しみな左バッターです。
巨人軍にあってはこのような左の中長距離砲が少ないこともあって、長い目で見れば今から育て上げていくことが必要です。
いずれは右の岡本和真と左の香月一也によるクリーンアップということも、決して夢ではないと思います。
これが今回、巨人とロッテ両軍において交わされたトレードではないでしょうか。
お互いに移籍した先のチームで、どこまで活躍ができるか、大いに楽しみです。
沢村拓一の成績と背番号は?

それでは改めて沢村拓一のプロフィール、経歴、成績と年俸、さらには背番号について見ていきたいと思います。
沢村拓一(さわむら ひろかず)は、1988年(昭和63年)4月3日生まれで32歳です。
栃木県栃木市の出身で身長は184㎝、体重は102kg、現役のプロ野球選手で、現在は千葉ロッテマリーンズに所属している、右投げ右打ちの投手です。
小学2年生の時から野球を始めました。
6年生になり投手を務めました。
栃木市立東陽中学校では野球部に所属し、県大会にも出場しています。
高校は佐野日大高等学校へ進学し、3番手の投手として活躍をしました。
しかし高校在学中は甲子園には出られませんでした。
高校を卒業後、高校の先輩である会田有志の勧めで中央大学商学部へ進学、硬式野球部に所属しました。

2年生の時、秋の東都大学1部リーグでは初先発で出場、見事に完封勝利をおさめています。
2009年には第37回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、その後第25回アジア野球選手権大会にも日本代表で出場しました。
3年秋のリーグ戦では青山学院大学戦で、初回、当時の時点で神宮での大学生歴代最速の156km/hをマークしています。
11月22日に行われたU-26NPB選抜対大学日本代表に出場、3回の裏、坂本勇人選手と対戦し著球で見逃しの三振に抑える活躍をしました。
4年の春には東洋大学戦で当時の大学生歴代トップの157km/hをマークするなど活躍を見せ、最優秀投手賞を受賞しています。
東都大学1部リーグでは通算41試合に登板、19勝14敗、防御率は1.31、奪三振は266の好成績を上げ、2部リーグでは7勝2敗でした。
2011年に大学を卒業しました。
2010年10月に行われたプロ野球ドラフト会議では、同じ中央大学卒の阿部慎之助、亀井義行らの活躍を見ていましたので、できれば巨人に入りたいと思っていました。
その巨人から単独1位で指名をされたことで、沢村はうれし涙を流しています。

背番号は当時球団代表をしていた清武英利から「沢村(英治)さんを1つ超えるという意味で、15を背負ってほしい」との要望で、「15」に決まりました。
読売ジャイアンツ時代(2011年~2020年7月25日)
2011年は開幕一軍でスタートしましたが、4月15日のマツダスタジアムでの広島戦でプロ初登板で初先発をしました。
7回まで無失点で抑える好投を見せましたが、初勝利とはいきませんでした。
4月21日の甲子園球場での阪神戦で、7回1失点という好投でプロ初勝利を飾っています。
5月31日には西武ドームでの西武戦で、プロ初となる完投勝利を挙げています。
このシーズンでは最終的に11勝11敗、防御率が2.03、奪三振は174、WHIPは0.97との好成績を上げ、見事に新人王に選ばれています。

この受賞で巨人は2008年の山口鉄也以来4年連続で新人王を受けています。(同一球団ではプロ野球史上初)
2012年は2年連続二桁勝利を達成しました。
これは堀内恒夫さん(16勝-12勝)以来45年ぶりの快挙となっています。
相手選手を制圧するピッチングをしようとの考えで、前年度オフシーズンから肉体改造に取り組みました。
CSのファイナルステージでは4戦目に先発、失点1と好投を見せて勝利投手となっています。
日本シリーズでは日本ハムと対戦、第2戦に先発で登板し8回を投げて未失点と好投を見せ、日本シリーズ初登板初選抜初勝利との初づくしを成し遂げています。
実に素晴らしい活躍だと思います。
尚、この試合では初回にピンチを迎えた際、捕手からの牽制のサインを見落としたため、阿部慎之助から頭をこつんとぶたれたことが、話題になりましたね。

それでその後はしっかり抑えることができました。
巨人はこの年見事に日本一を飾りました。
2013年は第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が開催されました。
この大会では4試合に中継ぎで登板し、3回と1/3を1失点に抑えています。
このシーズンは不調のため34試合に登板、22先発で5勝10敗と大きく負け越してしまいました。
尚、後半の12試合ではリリーフに回り、1勝1敗6ホールドの成績でした。
2014年は二軍でスタートしましたが、シーズンを通しての成績は5勝3敗に終わりました。
阪神とのCSのファイナルステージでは、第2戦に登板しましたが、上本選手に頭部に死球を当ててしまったため危険球で降板しています。
その後チームは4連敗を喫し、敗退しました。
原監督からは沢村投手に中継ぎに配置転換することを発表しています。
2015年はリリーフに転向して初めてのシーズンになりました。
3月27日の横浜DeNAベイスターズ戦では、9回に登板し関根選手に本塁打を浴びましたが、その後抑えて自身初のセーブを記録しています。
後半戦でも守護神として活躍し、36セーブを記録しました。
2016年は37セーブを記録して、自身初のセーブ王となりました。
2017年は沖縄でのキャンプ中に右肩に針を生じ、トレーナーからハリ治療を受けました。
これが尾を引いてしまいシーズンに入ってからも不調が続きました。
その結果シーズンでの一軍登板は、初めてゼロに終わっています。
2018年もあまり調子が上がらず、防御率は4点代後半に終わっています。
2019年はわき腹痛で一時戦列を吐萎えましたが、主に中継ぎで登板、また急遽先発で登板するなどありましたが、前年度より好調な成績で、優勝に貢献しています。
2020年は新型コロナウイルス感染の影響で開幕が贈れました。
最初は順調でしたが途中から不振に陥ってしまい、二軍に落とされました。
結局巨人では7月25日が最後となりました。
2020年9月7日、突然ロッテ香月選手との間で交換トレードが発表されました。
千葉ロッテマリーンズ時代
千葉ロッテに移籍が決まった沢村拓一は、香月選手が付けていた背番号「57」に決定しました。

9月8日、新天地で入団発表が行われ、即支配下登録され一軍出場登録もされています。
その日の夜に行われた北海道日本ハムファイター戦では、ZOZOマリンスタジアムでベンチ入りし、ロッテが1点リードした大事な回で、中継ぎで登板し、3人の打者をすべて空振りの三振に切って落としています。
ユニフォームがまだ間に合わず、打撃投手の福嶋明弘が付けている「106」のユニフォームを借りて投球しました。

投げた後、沢村投手は雄叫びの声を上げて自分を鼓舞しました。
多くのロッテファンからも沢村投手が紹介された時、大歓声が沸き起こりましたね。
試合が終わってヒーローインタビューが行われ、沢村選手は「名前が呼ばれた時の声援は絶対に忘れません。これからはマリーンズのために腕を振っていきます。宜しくお願いします」と力強く声援にこたえていました。

井口監督もリリーフ陣をたたえるとともに沢村投手に「頼もしい、またいいところで使いたい」と高評価を与えていました。
これからパ・リーグの優勝を目指すロッテにとっては、力強い中継ぎ投手が入ってきたわけですから、大いに期待したいと思います。
沢村拓一の嫁はどんな人?
それではここからは沢村拓一のお嫁さんについて、どんな人なのかを見ていきたいと思います。
2011年12月17日に当時日本テレビのアナウンサーをしていた、森麻季さんと結婚をしています。
お二人は沢村選手が中央大学に在学中からお付き合いされていたそうです。
結婚後インタビューを受けた際、沢村選手は「気を遣わないので一緒にいても楽です」と語っていました。
しかし2013年3月末にお二人は離婚されました。
1年5ヶ月の短い結婚生活でした。
一体何があったのかは分かりませんが、残念な結果になりました。
お二人の間で価値観の相違があったのではないかとの噂ですが、真相ははっきりしていません。
その後、元奥さんは再婚されたとのことですが、沢村選手はまだ再婚されてはいないようですね。
早くいい人が見つかって、明るい家庭を築いてほしいと思います。
さあ、話は野球に戻りますが、プロ野球もいよいよ後半戦に突入し、特にパ・リーグでは首位争いが激化しています。
1位と2位でクライマックスが行われることになっていますが、1位には1勝のアドバンテージが与えられますので、いかにシーズンで優勝できるかにかかっています。
ロッテにとってはまたとない優勝のチャンスと言えますので、ぜひ残された期間、1戦1戦を大事に戦ってほしいと願っています。
皆さんで大きな声で千葉ロッテマリーンズを応援しましょう。
ガンバレ、千葉ロッテマリーンズ! 優勝はすぐそこにある、最後まであきらめず頑張れ、沢村拓一!
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