オリックスは西村徳文の解任が決定、果たして采配はどうだったのか?今季Aクラス入りできるのか?【プロ野球】




2020年度プロ野球は夏本番を迎えていますが、ここまでのところ成績が上がっている球団と、そうでない球団とはっきり差が出てきています。

パ・リーグでは特にその傾向が強く、相変わらず上位には常連の球団が占めており、下位に低迷している球団も、ほぼいつも通りという感じです。

ここからはそんな下位に低迷中の「オリックス・バファローズ」の監督で、つい先日解任が決定した西村徳文監督の、采配など気になる情報をお伝えしていきます。

 

 

真夏の暑い日々が続く今日この頃ですが、一つ冷たい飲み物などでのどを潤しながら、ごゆっくりご覧ください。

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西村徳文の解任が決定、果たして采配はどうだったのか?

最下位に落ち込んでいるオリックスですが、ここ最近はこの位置が定番となってしまった感がありますね。

これまで監督の交代が何度もあり、そのたび期待されていましたが、終わってみれば最下位が続きました。

一体何が原因でそうなってしまうのでしょうか。

オリックスですが、選手を見ているとかなり技術的にも素晴らしいものを持っている選手が多く存在していますね。

投手では山本由伸を筆頭に山岡泰輔という素晴らしい2枚看板がいますし、打者では吉田正尚やT-岡田という強打者がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういった選手を起用する際、西村監督はどんな戦術を考えていたのでしょうか?

まずその前に、ここで西村徳文についてどんな経歴の持主であるのかを見ていきます。

西村徳文(にしむら のりふみ)は、1960年1月9日生まれで60歳です。

宮崎県串間市の出身で身長は177㎝、体重は73kg、元プロ野球選手で外野・内野手として活躍しました。

右投げ両打の出来る選手として活躍をしています。

幼いころの西村は、串間地方の方言で「おちゃかろ」といわれるほどいたずらが大好きな子供でした。

野球は串間市立福島中学生校に在学時からはじめました。

宮崎県立福島高等学校へ進学後、1年生の時からベンチ入り。

一番打者で二塁手として活躍、1976年の2年時は、春季九州大会県予選決勝に進みましたが、都城高校に惜しくも敗れています。

同年夏の県予選では決勝で日南高校に完封勝利を挙げ、第58回全国高等学校野球選手権大会で甲子園に初出場しました。

しかし、2回戦(初戦)で高田商高に乱打戦の末敗退し、西村自身もノーヒットに終わっています。

翌年の1977年夏は準々決勝で都城商に逆転負けを喫し、甲子園には届きませんでした。

高校卒業後、安定した仕事につきたいと考え、国鉄鹿児島鉄道管理局(現在はJR九州鹿児島支社)に入社、同野球部に所属して野球をしています。

入社3年目、1980年にはスカウトが視察に来た際、西村はプロ入りを目指すことを告げました。

1981年のドラフト会議では、ロッテ、ヤクルト、南海の3球団から5位指名を受け、抽選の結果ロッテに入団しました。

 

 

尚、串間市出身のプロ野球選手では、広島カープに入った水谷実雄に続いて二人目です。

ロッテに入団後、1982年9月に代走として初めて出場、秋には山本一義監督や飯塚内野守備走塁コーチからの助言で、俊足を更に生かすためとして、スイッチヒッター(左右両打ち)への転向を進められています。

秋季のキャンプから猛練習に励み、1983年、左打席でプロ初ヒットを放ち、5月には初のスターティングメンバーに選ばれています。

1983年のシーズン後半では、井上選手に変わって二塁手で定着、1984年、初めて規定打席に到達し打率.285をマークしました。

1985年には打率が.311で9位に入り、初タイトルのベストナインとゴールデングラブ賞(二塁手部門)を獲得する活躍を見せました。

同年のオフには結婚しています。

1986年~89年までの4年間、連続盗塁王を獲得しました。

1989年には選手会長に就任しました。

有藤道世監督の勧めで振り切る打撃を心がけるようになりましたが、好事魔多しの言葉通り、3月11日の中日とのオープン戦で、右手鈎骨を骨折してしまいました。

その手術の影響で開幕から32試合も欠場を余儀なくされました。

5月27日の西武戦から復帰しましたが、その間若い選手が台頭してきたことによって、中堅手にコンバートされています。

以後、外野手としての登場が多くなりました。

1990年3月21日にはオープン戦で右太ももの肉離れを起こし、5月17日には左足首の捻挫を起こすなどで、盗塁数が減りました。

打撃で頑張った結果、打率.338でパ・リーグ史上初両打打者として首位打者になりました。

中堅手としてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、パリーグでは内野・外野両方で初めてゴールデングラブ賞を受賞した選手となっています。

1995年5月9日、風疹のため欠場、西村の代わりで出た諸積兼司が4安打を放つ活躍で、中堅手のレギュラーを獲得しました。

1997年にはシーズンを通じて二軍で若手の指導に当たっています。

そして現役を引退しました。

10月12日のシーズン最終戦では、西村選手の引退試合が行われました。

外野席にはファンが作成した横断幕「ダイヤモンドのスピードランナー 疾風のように行け、走れ西村、16年間ありがとう!」の文字が風になびいて多くのファンから歓声を受けていました。

引退後の1998年、ロッテの一軍内野守備走塁コーチを務めました。

1999年には外野守備走塁コーチに転任、その後は二軍外野守備走塁コーチを務めています。

そして時は過ぎ2010年にはロッテの監督に就任しました。

監督1年目でロッテは3位に食い込み、3年ぶりのクライマックスシリーズ出場を果たしています。

そして西武とソフトバンクを撃破し、日本プロ史上初となるレギュラーシーズン3位から日本シリーズへの出場を獲得したのです。

中日との日本シリーズでも快進撃で4勝2敗1分けで見事に勝利して、5年ぶり4度目の日本一に輝いています。

素晴らしい快進撃でしたね。

尚、監督就任1年目の日本一達成ということは史上9人目でロッテでは、毎日オリオンズの湯浅監督以来60年ぶりの快挙でしたね。

11月15日には正力松太郎賞を受賞しています。

25日には串間市から市民栄誉賞を受賞しました。

12月7日には野球殿堂入り候補者名簿・プレイヤー部門に掲載されました。

2012年に退任し2013年からはサンケイスポーツ評論家、その他解説者として努めました。

2016年にはオリックス・バファローズの福良監督の退任で翌年から西村新監督となることが発表されました。

 

 

その後、オリックスは振るわず低迷を続け、ついに2020年8月20日、オリックス球団から辞任を要請され西村監督は、辞任を承諾、新監督として二軍の監督をしていた中嶋聡が監督代行を務めることが決まりました。

 

 

以上、ここまでは西村徳文の経歴をお伝えしました。

ここまで見てきましたが、監督としての采配についてですが、果たしてどうだったのでしょうか?

やはり思い切った選手采配ができなかったことが低迷する主な原因ではなかったでしょうか。

コーチとしての経験も豊富だっただけに、とても残念な気がして仕方ありません。

監督という仕事は、選手一人一人をどう見ていくのか、さらには試合の流れをどう組み立てていくべきか、シーズンを通じてどの選手を中心に組み立てていくべきか、などかなり細やかな戦術が要求されます。

プロ野球の面白さと同時に怖さは、「結果がすべてである」ことに尽きると思います。

どれ程途中で頑張っても、シーズン終了時に一番上の位置にいなければ、監督としての評価は得られません。

厳しいけれどこれが現実です。

さて話を変えてここから少しだけ西村徳文さんのプライベート面を見て行きたいと思います。

ご家族ですが、奥様と二人の娘さんがいらっしゃるそうです。

奥様ですが元ミス鹿児島にも選ばれたことがあるそうです。

西村さんはお酒が好きで特に焼酎が大好きで、ロッテでの監督時代はQVCマリンフィールド内の監督室には、ブランド焼酎ボトルが数多く並んでいたそうです。

地元宮崎はご存知のように焼酎の名産地でもありますから、その点でも好きだったものと思われますね。

愛称だった「走る将軍」というのは、ご存知、水戸黄門の三戸光圀役だった俳優の西村晃と同姓だったことから、つけられたとのことです。

 

 

とんねるずの木梨憲武に顔が似ていることから、「仮面ノリダー」という愛称もありました。

 

 

いずれにしても多くの人たちから愛されていたことがよくわかるエピソードでしたね。

 

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オリックスは今季Aクラス入りできるのか?

 

さて、話をオリックスに戻しましょう。

ここまで低迷を続けてきたオリックスは、残されたシーズンをどのように闘っていくつもりでしょうか。

監督代行となった中嶋聡というのは、どんな戦術を持っているのでしょうか。

それがはっきりしない事には、今後の予測ができません。

選手時代の中嶋選手は、捕手で強打者としても評判でしたが、監督としての才能面ではいかがでしょうか。

 

 

2軍監督としてウエスタンリーグで若い選手たちと暑い中で汗を共に流してきた中嶋代行監督ですから、若い選手たちからも大きな信頼を得ているものと思います。

選手一人一人の特性を掴んで、2軍から1軍に挙げるべく選手についてはよく分かっているものと思います。

どうかそんな若い才能のある選手たちを、これから早く1軍に上げてほしいと願います。

やはり球団内で厳しい競争をしていく必要がありますので、時には厳しくまた優しく硬軟相まって人を育て挙げていく姿勢がとても大切だと思います。

これから残された短い期間かもしれませんが、精一杯頑張って、何とかオリックスをAクラスに入れてほしいと願っています。

選手層は結構厚いものがありますので、あとは監督としての采配をどうするのか、にかかってくると思います。

いつまでもBクラスに甘んじていてはいけません。

やるからには優勝を目指すくらいでないと、絶対Aクラスに入ることはできません。

今後は各試合でどのように采配して試合を作っていくのか、大いに注目していきたいと思います。

今日、2020年8月23日、うれしいニュースが入ってきました。

中嶋新体制になってから、オリックスバファローズは3連勝となって活気づいてきましたね。

借金を1つ減らして14として、西武に4ゲーム差とゲーム差を縮めました。

今日も1点差を勝ち切りましたが、以前に比べて粘り強くなった気がします。

特に5番のジョーンズ選手は3試合連続の9号ホームランをかっ飛ばして、チームを勝利に導いています。

吉田正尚も23戦ぶりに8号ソロホームランで、久々にスカッとさせてくれましたね。

最後になりましたが新型コロナウイルス感染防止には、今後も十分注意をして、より楽しいプロ野球を展開して欲しいと強く願います。

それには多くのファンの後押しが大切になってきます。

さあ、みんなで応援を送ろうではありませんか。

ガンバレ、オリックス・バファローズ! 優勝目指した躍進だ! ガンバレ、中嶋聡監督代行!

 

 

 

 



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