1964年(昭和39年)10月10日、真っ青に晴れ上がった東京の秋の空、浮かび上がった飛行機雲は、5つの輪をきれい描き上げました。

それを見ていた多くの東京都民は、晴れやかに笑顔を見せていました。
『あの感動を再び東京の空へ』、あれから56年後の東京に再び五輪の旗が大きく広がります。
2020年に開催される予定だった東京五輪は、新型コロナウイルスの拡大により1年間の延期が決まりました。
ここを目指してきた多くのアスリートたちは、一瞬我を忘れて驚きの声を上げました。
しかし、いつ止むともしれない見えない敵との戦いは、今もなお留まることを知りません。
恐ろしいことに年配の人だけでなく、最近は若い人たちにも感染が拡大し、将来のある若い尊い命が失われているのです。
東京でも3月29日にはコメディアンとして、多くの人たちに笑いを提供してきた、志村けんさんが新型コロナによる肺炎のため、70歳で急逝されました。
まだまだたくさんの面白いコントを期待していた矢先の出来事で、国民はもちろん世界各国の多くの人たちにも、悲しみの輪が広がりました。
惜しい人を亡くしてしまい、多くのファンからSNSで思い出のコメントが寄せられ、心の中にぽっかり穴が開いてしまった感じです。
今までのご活躍に対して、本当にお疲れさまでしたと、心からお礼申し上げます。
謹んでお悔やみ申し上げます。
そんな状況ではありますが、東京五輪へ向けて各競技の日本代表選手の選考が行われ、内定が決まりつつあります。
ここでがテコンドーで出場が内定した、濱田 真由選手に的を当て、どんな選手なのかを見ていきたいと思います。
最後までご覧いただきたいと思います。
濱田 真由の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、濱田 真由の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
濱田 真由(はまだ まゆ)は、1994年(平成6年)1月31日生まれで26歳です。
佐賀県佐賀市の出身で、身長は174cm、体重は55kgの日本のテコンドー選手です。
佐賀県立高志館高等学校を卒業し、現在はミキハウスに所属しています。
マネジメントの契約先は、スポーツビズです。
テコンドーはお兄さんの影響を受け、小学1年生の時から始めています。
高校在学中の2010年3月、世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得しました。
2011年2月には全日本テコンドー選手権大会で、初出場初優勝を成し遂げています。
初めて出たばかりでいきなり優勝するということは、実に素晴らしいことだと思います。
11月にはロンドン五輪アジア地区予選での女子57kg級に出場、3位に入り日本のオリンピック出場枠を獲得するとともに、テコンドー史上日本勢最年少17歳で、ロンドン五輪への出場が内定されました。
2012年4月には高校を卒業し、ベストアメニティに入社しました。
社員として勤務をしながらテコンドーの練習に明け暮れました。
同年8月のロンドン五輪では、初戦でクロアチアのザニノビチと戦い、14-11で勝利を上げました。
準々決勝では金メダルを獲得した地元イギリスのジョーンズと戦い、3-13で敗れました。
敗者復活戦に回りセルビアのグラドビッチに15-2で勝利、3位決定戦でフランスのアルノワと戦いましたが、8-12で惜しくも敗れ、メダルには届きませんでしたが、5位に入賞しています。
2013年の世界テコンドー選手権(メキシコ・プエブラ)では女子57kg級で決勝まで進み、韓国のキム・ソヒと戦いましたが惜しくも敗れ、銀メダルを獲得しました。
2014年、ベストアメニティに在職のまま、教職員免許取得のため徳山大学に進学しました。
2015年にはプロ転向を決意、ベストアメニティを退社しています。
2015年の世界テコンドー選手権(ロシア・チェリャビンスク)では、女子57kg級で決勝まで進み、世界ランク2位のスペインのエバ・カルボ・ゴメスと戦い見事に勝利、世界選手権では日本人初となる金メダルを獲得しています。

実に素晴らしい活躍だと思いますね。
2016年4月、ミキハウスの所属選手となりました。
8月のリオデジャネイロ五輪では、唯一日本代表として女子57kg級に出場しましたが、準々決勝ではエジプトのヘダヤ・ワフバに延長戦の末敗れ、ワフバが準決勝で敗退したため、敗者復活戦に進むことができず、メダル獲得には至りませんでした。
東京五輪では過去2度の五輪出場という経験を活かして、ぜひ大活躍をしてほしいと思います。
濱田 真由の五輪の出場歴、成績は?

それではここから濱田 真由の五輪の出場歴、成績を見ていきましょう。
これまでに五輪は、2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪の、2大会連続出場を果たしています。
ロンドン五輪では5位に入賞を、リオデジャネイロ五輪では、2回戦で敗退となりました。
リオデジャネイロ五輪ではいったい何が起きたのでしょうか。
濱田選手は「リオでは、やらなければいけないという意識が強かったため」と分析していました。
さらに「その時から股関節の怪我があったので、思うように練習ができなかったこともあったかも。でもそれを理由にはしたくないですけど」とも語っています。
医師に診てもらったところ「股関節唇(しん)損傷」と診断されました。
これはサッカー選手によくみられる症状だそうですが、激しいトレーニングで足の付け根に痛みが生じるそうです。
足の痛みに耐えながら、だましだましプレイを続けてきました。
2015年の世界選手権の直前に症状が最も悪かったとのことです。
4~5年前くらいから股関節に鈍痛があったそうですが、けがをしているとは意識をしていなかったので、練習と試合をしては休むサイクルを繰り返していたそうです。
元々、股関節は柔らかい方ですが、その部分に頼っていた代償の気がすることと、股関節に負担をかけるようなおかしな蹴り方をしていたことを反省しました。
佐賀県と東京を往復していますが最近は東京に滞在している方が多いということです。
リハビリがメインだそうで一日の多くの時間をリハビリに当てているとのことです。

ここからは今までの各大会での成績を年代順にまとめてお伝えします。
・2009年 アジアジュニアテコンドー選手権 女子49kg級 3位
・2010年 第8回世界ジュニアテコンドー選手権 女子49kg級 3位
・2011年 第4回全日本テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
・2012年 ロンドン五輪アジアテコンドー予選トーナメント 女子57kg級 3位
・2012年 第5回全日本テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
・2012年 第20回アジアテコンドー選手権 女子57kg級 3位
・2012年 ロンドン五輪 女子57kg級 5位入賞
・2012年 第7回慶州韓国オープン国際テコンドー選手権大会ジュニア女子55kg級 優勝

・2013年 第6回全日本テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
・2013年 第21回世界テコンドー選手権大会 女子57kg級 2位
・2013年 第6回東アジア競技大会 女子57kg級 優勝
・2014年 第7回全日本テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
・2014年 第21回アジアテコンドー選手権大会 女子57kg級 2位
・2015年 第8回 全日本テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
・2015年 第22回世界テコンドー選手権大会 女子57kg級 優勝
以上のような素晴らしい成績を挙げています。
さあ、いよいよ1年後の夏に迫ってきた東京五輪ですが、一番の気がかりは新型コロナウイルスのことです。
終息ができなければオリンピックの開催は、場合によっては再度延期、または最悪の場合中止ということも考えられます。
何とか一刻も早く終息して欲しいと世界中の人たちが願っていると思います。
何とか無事に開催出来て、明るく楽しい気持ちで東京五輪を迎えたいものですね。
そしてその暁には皆さんで大きな声援を送りましょう。
頑張れニッポン! 金メダルを目指して最後までガンバレ、濱田 真由!
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