岩元 勝平の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【近代五種】




1964年(昭和39年)に東京五輪が開催され、世界からアスリートたちがやってきて盛大に行われました。

あれから56年後に再び東京で五輪が開催されることになりましたが、直前でおよそ1年間の延期となりました。

その理由は世界中に感染が広がっている新型コロナウイルスによる肺炎の影響です。

中国の武漢で発生した新しい恐怖は、瞬く間に世界中に拡大、今や多くの人たちの尊い命を奪っています。

日本においても特に最近首都東京を中心に、感染が拡大しています。

先日も有名人が亡くなりました。

タレントでテレビの人気ものである志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝されました。

そのニュースはあっという間に国中を駆け回り、多くのファンの涙を誘ったのです。

まだ70歳という若い才能のあふれる芸能で、これからも楽しみにしていただけにショックは大きく私たちの心を痛めました。

最近まで元気でテレビにも多く出演していただけに、信じられないという声が広がりました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

悲しいニュースは世界各国にも広がり、その才能を悼む声が広がっています。

そんな状況ですが、東京五輪に向けて出場選手の選考が行われ、徐々に内定者が出てきました。

ここからは近代五種で日本代表が内定した、岩元 勝平に焦点を当てどんな選手なのか見ていきたいと思います。

どうぞ最後までじっくりご覧ください。

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岩元 勝平の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、岩元 勝平の経歴、プロフィールを見ていきましょう。

岩元 勝平(いわもと しょうへい)は、1989年(平成元年)8月23日生まれで30歳です。

鹿児島県の出身で、身長は178cm、体重は68kg、近代五種の選手です。

最終学歴は鹿児島実業高校卒で、現在は自衛隊に所属をしています。

高校までは水泳をしていましたが、自衛隊体育学校に入ってから、監督からスカウトされて、近代五種をするようになりました。

ここで近代五種とはどのような競技なのか、詳しく見ていきたいと思います。

そもそもの始まりは近代五輪の父と呼ばれたクーベルタン男爵が提唱して始まったそうです。

1912年の第5回ストックホルム五輪から行われ、2000年のシドニー五輪からは女子も加わりました。

内容はフェンシング、水泳、馬術、射撃・ラン(複合)の5種類を一人で1日でこなすという競技です。

選手はそれぞれ得手不得手がありますので、競技が進むにつれて順位が入れ替わるので、勝負の行方は最後まで分かりません。

競技は男女36人が出場します。

まずフェンシングはランキングラウンドを行います。

女子は翌日、男子は翌々日に水泳とフェンシングのボーナスラウンド、馬術、射撃・ラン(複合)を1日で行います。

各種目の成績を得点で示し、最後の射撃・ランについては、馬術までの得点を1点で1秒として、タイム差をつけてスタートします。

最終的にゴール順が最終成績となるわけです。

各種目の詳細ですが、フェンシング・ランキングラウンドは、エペといって全身への突きが有効になるもので、1分間総当たりで1本勝負となります。

勝率7割を250点として、これを基準にして1勝敗ごとに加点と減点がなされるわけです。

続いて水泳ですが、200m自由形で行われ、2分30秒を250点として、このタイムを基準にして加点と減点がなされます。

フェンシング・ボーナスラウンドは、最初のランキングラウンドの得点が持ち越されて、1試合勝つごとに1点が加算されます。

ランキングラウンド36位と35位が最初に対戦、勝った方が34位と対戦していく勝ち抜きの方式で、敗れた場合でも減点されません。

馬術ですが障害飛越を行いますが、コースはダブルとトリプルの障害を含む12の障害、15飛越で行われ、300点からの減点法で採点されます。

尚、貸与される馬は抽選で決めることになっています。

そして射撃・ランですが13分20秒を500点として、馬術までの3種目の合計点を1点ごとに1秒として、時間に換算し、上位の選手からタイム差をつけてスタートします。

レーザーピストルで的に5発当てる射撃で制限時間は50秒と、800mのランニングを交互に4度繰り返して、ゴール順が成績となります。

1か国・地域の出場枠は男女各2人までとなっています。

岩元選手の話に戻ります。

2014年のアジア大会では個人で銅メダルを、団体では銀メダルをそれぞれ獲得しています。

2018年のワールドカップでは日本男子歴代最高の6位に入りました。

2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場しました。

2019年11月のアジア・オセアニア選手権は、東京五輪への予選をかけて中国の武漢で開催されました。

岩元勝平選手は日本人選手では最高の1443点をあげ、7位に入賞しました。

これで日本の五輪出場枠を確保し、併せて岩元選手は2大会連続出場を内定しました。

東京五輪本番でも、ぜひ頑張って上位を目指してほしいと願っています。

以上、ここまで岩元勝平の経歴とプロフィールをお伝えしました。

岩元 勝平の五輪の出場歴、成績は?

岩元勝平選手ですが、これまで五輪は2016年のリオデジャネイロ五輪に出場をしています。

そのリオデジャネイロ五輪での成績は、29位に終わりました。

残念ながら本来の実績を発揮できずに終わってしまった感じです。

尚、一緒に出場した三口智也は22位に入り、女子の朝長なつ美は13位の成績でした。

アジア・オセアニア選手権で岩元選手は、最終種目の射撃・ランニングを10位で迎えていました。

小差ではありますが、上にいた2人の日本選手を追い抜かなければ、東京五輪への切符を手にすることができません。

「とにかく射撃に集中して、あとは気力で走りました」とのコメントを残しましたが、その気持ちが通じたのでしょう、全体4位の好タイムで、日本勢のトップを奪って東京五輪への切符を手にしました。

今シーズンは調子が上がらず東京五輪のテスト大会として行われた6月のワールドカップ・ファイナルには、出場すらできない状況でした。

そのため夏場からは11月のこの大会に照準を合わせて調整を行ってきました。

岩元選手はこう語っています。

「また五輪に行きたいという気持ちだけでした。今度は自国での開催ということでメダルを取らないといけません。世界と戦えるだけの準備をしていきます」と力強く語っていました。

いよいよ1年後に迫ってきた東京五輪本番ですが、一番の気がかりは新型コロナウイルスの感染拡大ですね。

一体いつになったら収まってくるのでしょうか。

一刻も早く終息を期待したいところです。

皆さんも十分気を付けて、日ごろのうがいや手洗いの励行と、狭い場所や換気の悪い場所へ行かないなど、一人一人が注意をして生活していきましょう。

そしてそれが終息した暁には、世界各国から大勢の皆さんを日本に招き、私たちの心からの「おもてなし」をしようではありませんか。

その日は必ずやってきます。

それを信じて毎日を送りつつ、日本の選手に応援をしていこうではありませんか。

頑張れニッポン! 新型コロナに負けずにオリンピックで金メダルを目指してガンバレ、岩元 勝平!

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