向 翔一郎の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【柔道】




東京オリンピック2020と東京パラリンピック2020の開催まで、残り少なくなってきましたが、ここへ来て重大な問題が発生し、その開催が延期されそうな状況になりました。

ご存知の通り、今や世界中に新型コロナウイルス感染による肺炎が拡大中です。

中国から発生されたとみられる新型コロナですが、その感染は今や欧州やアメリカ、更にはオーストラリアやアフリカまで、世界のすべての大陸に及んできました。

重症に陥り亡くなられる人たちも、かなりの数になり連日のように増えてきています。

そのためオリンピックの各競技への出場する選手を決めるべく、各選考の大会なども行えないような状況です。

このままでいきますと終息がいつになるのか、全く分からなくなってきています。

今の段階ではおそらく2020年7月の東京五輪は、通常通りの開催はできないような情勢です。

選手の人たちにとっては、今まで築き上げてきたものが生かされず、また最初からやり直しということにもなりかねません。

先ほど入ってきた最新情報ですが、1年延期ということが正式にIOCのバッハ会長から発表されたとの情報が入りました。

1年ほど先に延期されることになり、すでに内定されている選手にも動揺があるようですが、何とか順調に調整を続けて欲しいと思います。

ここからは柔道男子で出場の内定が決まった、向 翔一郎についてスポットを当てて、どんな選手なのか経歴や成績などを見ていきたいと思います。

どうぞ最後までご覧ください。

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向 翔一郎の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、向 翔一郎の経歴、プロフィールを見ていきましょう。

向 翔一郎(むかい しょういちろう)は、1996年(平成8年)2月10日生まれで24歳です。

富山県高岡市の出身で、身長は178cm、体重は83kgの日本の柔道選手で、組手は左組み、得意技は内股で現在は綜合警備保障(アルソック)に所属しています。

柔道を始めたのは4歳の時でした。

お父さんが柔道の指導者をしていたことから、お姉さんと共に始めたそうです。

小学1年生の時に新潟県に移住しましたが、そこの「白根柔道連盟凰雛塾」に所属をしました。

柔道を本格的に始めたのは小学4年生の時で、この時期が一番強かったといえるほど、試合で勝ち続けました。

やがて中学生になり上京、「講道学舎」に所属しました。

その際、非常にきつい練習を課せられましたが、要領がよく立ち回り先輩などからも好意的に接してもらったことにより、約10kgほど体重が増えたとのことです。

その後は富山県に戻り、雄山中学校へ移りましたが講道学舎出身というプライドが邪魔をして、柔道が伸び悩みました。

高校は高岡第一高等学校に進みました。

ここでもやはり講道学舎出身ということで、周りからもちやほやされ、あまり熱心に練習に励みませんでした。

しかし中学時代までは圧勝をしていた同級生に敗れたことがきっかけで、それ以降は真剣に練習に励みました。

3年生の時にはインターハイで81kg級に出場し、5位に入りました。

大学へ進学後は柔道をやめてアメリカンフットボールに取り組もうと思っていたそうですが、日本大学の柔道部にスカウトされ、柔道を続けることにしたそうです。

2014年に日本大学へ進学しました。

1年生の時には9月の全日本ジュニアの決勝戦で、天理大学の具志堅一弘を破り見事に優勝を果たしました。

2年になり6月の優勝大会では3位に入りました。

9月に行われた全日本ジュニアの決勝戦で、筑波大学の大橋賢人を破り大会2連覇を達成しています。

3年生の時には10月の学生体重別決勝で大橋を破り優勝を飾りました。

4年生になり4月の体重別決勝では、千葉県警の加藤博剛を指導2で破り、今大会初優勝を飾りました。

12月のグランドスラム・東京では準々決勝でブラジル選手に負けましたが、敗者復活戦で勝ち上がり3位に入っています。

2018年2月のグランドスラム・パリでは決勝戦でグニビアシビリを開始早々に背負い投げで破るなど、オール一本勝ちの快挙でIFJワールド柔道ツアー初優勝を飾っています。

4月からは綜合警備保障に所属、体重別では準決勝でベイカー茉秋に技ありで敗れ3位に終わっています。

グランドスラム・大阪では準決勝でジョージアのウシャンギ・マルギニアを技ありで破り、決勝戦ではオランダのノエル・ファントエンドに反則勝ちを収め見事に優勝しました。

2019年2月のグランドスラム・パリでは準々決勝でカザフスタンのイスラーム・ボズバエフに敗れ。3位決定戦でもパーク24の長澤憲大に横四方固で敗れ、5位に終わっています。

4月の体重別では準決勝で東海大学1年の村尾三四郎を、腕挫腋固で破り決勝戦では長澤にゴールデンスコアに入ってから反則勝ちで優勝、世界選手権代表に選ばれました。

8月に行われた世界選手権では、決勝まで進みましたがファントエンドに技ありで惜しくも敗れ2位に留まりました。

その試合後「まだまだ我慢が足りない。自分にむかつく。2位は1回戦負けと同じだし、これだけ悔しいのは初めて」と号泣しながら語っていました。

2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは、準々決勝でアゼルバイジャンのママダリ・メフディエフと対戦、指導2をとられた後に主審の指示なしに帯を解いて結びなおしたことにより指導3の反則負けを喫しています。

しかしその後の3位決定戦では、シルバ・モラレスを払巻込で破り3位に入っています。

その後開かれた強化委員会では、1名の強化委員が白票を投じたのを除き、賛成票が得られたことによって東京五輪への代表が内定しました。

向選手は「90kg級は横一線だとは思っていましたが、五輪で結果を残すには自分くらいのメンタルじゃないとだめだと思っていました。優勝して恩返しをします」と力強く決意を語っていました。

東京五輪本番での活躍を期待したいと思います。

向 翔一郎の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは、向 翔一郎の五輪の出場歴、成績を見ていきたいと思います。

ここまでは五輪への出場歴はありませんでした。

やはり同クラスには、ベイカー茉秋選手がいますので、なかなかオリンピックへ出ることができなかったようです。

ここからはそれ以外の各大会での成績を、順を追ってお伝えしたいと思います。

・2013年 インターハイ 81kg級 5位

・2014年 優勝大会 2位

・2014年 全日本ジュニア 優勝

・2014年 世界ジュニア 団体戦 優勝

・2015年 優勝大会 3位

・2015年 全日本ジュニア 優勝

・2015年 世界ジュニア 団体戦 優勝

・2016年 優勝大会 2位

・2016年 学生体重別 優勝

・2016年 体重別団体 3位

・2016年 講道館杯 3位

・2016年 グランドスラム・東京 7位

・2017年 ヨーロッパオープン・ローマ 5位

・2017年 体重別 優勝

・2017年 アジア選手権 個人戦 3位 団体戦 3位

・2017年 優勝大会 3位

・2017年 ユニバーシアード 個人戦 3位 団体戦 優勝

・2017年 講道館杯 優勝

・2017年 グランドスラム・東京 3位

・2018年 グランドスラム・パリ 優勝

・2018年 体重別 3位

・2018年 グランプリ・ブタペスト 7位

・2018年 世界団体 優勝

・2018年 講道館杯 3位

・2018年 グランドスラム・大阪 優勝

・2019年 グランドスラム・パリ 5位

・2019年 体重別 優勝

・2019年 グランプリ・ブタペスト 2位

・2019年 世界選手権 2位

・2019年 グランドスラム・大阪 3位

・2020年 グランドスラム・デュッセルドルフ 3位

以上のような成績を挙げています。

いずれの大会でも、素晴らしい活躍を見せていますね。

東京五輪の開催が先ほどお伝えしましたが、1年くらい延期になることが確定しました。

選手の皆さんにはこの2020年の大会を目指して調整して来られたわけですが、延期になることでどのようなことが起きるのでしょうか。

特に年齢の高い選手にとっては、これまでの好調を維持していくことは、とても困難になるのではないでしょうか。

幸い、向選手は24歳という若さですから、1年延長されても25歳で五輪を迎えることになるので、あまり心配はいらないとは思います。

何とか本番まで体調を崩さぬように調整に励んで欲しいと思います。

皆さんで大きな声援を送ろうではありませんか。

頑張れニッポン! 粘り強く最後まで金メダルを目指して頑張れ、向 翔一郎!

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