永瀬 貴規の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【柔道】




東京五輪が開幕間近に迫ってきましたが、現在その状況には世界中の人々が注目しています。

あっという間に世界中に拡大してしまった、新型コロナウイルスによる肺炎の患者数が拡大し、残念ながら亡くなった人たちの数も膨大になり、終息の目途が全く立っていません。

このままでいくと7月の東京五輪開催はできなくなり、延期されるという状況に追い込まれてきています。

延期される時期についてもまだはっきりしませんので、出場を予定していた選手たちの間でも動揺が隠せなくなりました。

一刻も早い終息を望んでいますが、このところ日を追って世界中に感染の拡大が続いています。

IOCでは現在の所まだ正式な延期を発表していませんが、延期という事実はほぼ決まりつつある情勢です。

もし五輪開催が延期という事態になれば、これまで経験のなかったことになります。

中止という最悪の事態は避けられそうですが、これについても今後の状況次第ではありうることになってしまいそうです。

今や世界中の国々では、完全に外国との接触を避ける意味で、人の行き来ができなくなりました。

選手たちにとっても自主的に練習をすることもできません。

一体この先どうなってしまうのか、予測ができなくなっています。

そんな状況ですが、五輪へ向けて各競技では選手の選考会などがおこなわれていますが、競技によっては全く進んでいないというものもあり、予断を許さない状況です。

ここからはすでに内定が決まっている柔道男子の、永瀬 貴規についてどのような選手なのか経歴やプロフィールなどをお伝えしたいと思います。

最後までご覧ください。

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永瀬 貴規の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、永瀬 貴規の経歴、プロフィールを見ていきましょう。

永瀬 貴規(ながせ たかのり)は、1993年(平成5年)10月14日生まれで26歳です。

長崎県長崎市の出身で、身長は181cm、体重は81kg、日本の柔道選手です。

組手は右組みで、段位は四段、得意技は内股と足技です。

現在は旭化成に所属をしています。

柔道を始めたのは6歳の時で、世界選手権で中量級の2位に入ったこともある、大叔父に当たる平尾勝司が市販を務めている「養心会」で、お兄さんと共に始めました。

やがて長崎大学教育学部付属小学校5年生の時、全国小学生学年別柔道大会に出場、40kg級で5位に入りました。

この時に戦って敗れた相手の選手は、栃木県代表の高藤直寿でした。

この小学生当時から、会場でお兄さんや上級生の試合を熱心に観戦をしたり、テレビで放送された柔道大会を録画して、繰り出される技を覚えていくなど、とても研究熱心だったそうです。

そして長崎大学境域学部附属中学校の3年生の時には、全中(全国中学校柔道大会)の66kg級に出場、舞鶴中学3年の竪山将と戦いましたが、判定で敗れ5位に終わっています。

高校は長崎日大高等学校へ進みました。

1年生の時、高校選手権で81kg級に出場し、見事に優勝を飾っています。

3年生になり8月のインターハイでも、これまた見事に優勝を飾りました。

9月に行われた全日本ジュニアでは決勝戦で天理大学の1年生、丸山剛毅と戦いましたが、内股すかしで敗れました。

11月の講道館杯では高校生ながら3位に入る健闘をしています。

見事な活躍だと思いますね。

12月のエクサンプロヴァンスジュニア国際では、見事に優勝を飾りました。

2012年、筑波大学へ進学し1年の時には全日本ジュニア、アジアジュニア共に優勝を飾っています。

2年生になりロシアのカザニで行われたユニバーシアードでは、決勝戦でウズベキスタンのヤヒョー・イマホフと戦い、大外刈の技ありで破り、優勝を飾っています。

3年になり4月の体重別では決勝戦でJRAの長島啓太を指導3で破って、今大会初優勝を成し遂げました。

その結果世界選手権代表に選出されました。

その世界選手権大会では、準々決勝でチリキシビリに指導3で敗れ、3位決定戦でもピエトリに技ありで敗れてしまい、5位に終わっています。

世界団体では準決勝でチリキシビリと対戦、ゴールデンスコアの末に内股で有効を奪い、チームの勝利を決定づけると決勝では、地元ロシア選手と戦って、大内刈りで一本勝ちを修め、チームの優勝に貢献しました。

2016年4月から旭化成に所属、選抜体重別で決勝戦でJRAの長島を、技ありで破り今大会3連覇を飾っています。

それにより2016年のリオデジャネイロ五輪代表に選ばれています。

そのリオデジャネイロ五輪本番では、準々決勝でUAEのトマと戦い袖釣込腰で有効をとられてしまい敗れました。

敗者復活戦ではカナダのアントワーヌ・ヴァロワ=フォルティエを背負い落で破り、3位決定戦ではチリキシビリを有効で破り、銅メダルを獲得しました。

2016年度の世界ランキングでは見事1位に輝き、IJFからボーナスとして5万ドル(約565万円)が贈呈されました。

2019年には3月に行われたグランドスラム・エカテリンブルグで、準々決勝でリオデジャネイロ五輪金メダリストのハサン・ハルムルザエフを、8分以上となる熱戦の末、技ありで勝利、決勝戦ではイスラエルのサギ・ムキと対戦しましたが、終了間際に技ありを取られ惜しくも2位に終わっています。

7月のグランプリ・モントリオールでは準々決勝でドイツのアレクサンダー・ヴィ―ツェルツアックを8分にわたる熱戦の末、腕挫十字固で破り、決勝では地元カナダのアントワーヌ・ヴァロァ=フォルティエを内股で破り、すべてを一本勝ちで見事に優勝を飾っています。

2020年2月に行われたグランドスラム・デュッセルドルフでは初戦で世界ジュニア3位のジョージアのタト・グリガラシビリに、終了間際に裏投げで技ありで敗れてしまいました。

しかしその後開かれた強化委員会では、強化委員の満場一致で東京五輪への代表出場が内定しました。

その際、永瀬選手はこう語っています。

「リオデジャネイロ五輪が終わってから挫折を経験しました。その経験は4年前にはなかったもので、今は自分の力になっています。東京では強い柔道を見せたい」と力強い決意を語っていました。

東京五輪本番でも大いに期待したいと思います。

以上、ここまでは永瀬 貴規の経歴、プロフィールを見てきましたが、いかがでしたでしょうか。

いずれの試合でも見事な活躍で、私たち柔道ファンを力づけてくれましたね。

これからも大いに活躍を期待したいと思います。

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永瀬 貴規の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは、 永瀬 貴規の五輪の出場歴、成績を見ていくことにしましょう。

ここまで永瀬選手の五輪への出場歴は、2016年のリオデジャネイロ五輪で3位に入り銅メダルを獲得しています。

来る東京五輪では2度目の出場となります。

ここからは主な大会での成績を順を追って見ていきましょう。

・2010年 高校選手権 優勝

・2011年 韓国ジュニア国際 優勝

・2011年 インターハイ 優勝

・2012年 エクサンプロヴァンスジュニア国際 優勝

・2012年 ブレーメンジュニア国際 優勝

・2012年 アジアジュニア 優勝

・2013年 学生体重別団体 優勝

・2013年 講道館杯 優勝

・2013年 グランドスラム・東京 優勝

・2014年 選抜体重別 優勝

・2014年 世界団体 優勝

・2014年 グランドスラム・東京 優勝

・2015年 選抜体重別 優勝

・2015年 ワールドマスターズ 優勝

・2015年 全日本学生柔道優勝大会 優勝

・2015年 世界選手権 優勝

・2016年 選抜体重別 優勝

・2016年 グランドスラム・バクー 優勝

・2016年 グランドスラム・東京 優勝

・2017年 選抜体重別 優勝

・2017年 実業団体 2位

・2018年 実業個人選手権 2位

・2018年 グランドスラム・大阪 3位

・2019年 選抜体重別 優勝

・2019年 グランプリ・モントリオール 優勝

・2019年 グランドスラム・ザグレブ 優勝

・2019年 グランドスラム・大阪 優勝

以上のような素晴らしい成績を収めてきました。

ここには載せていませんが、これ以外の大会でも素晴らしい成績を残しています。

いかがでしたでしょうか。

実に素晴らしい選手であると思います。

いよいよ間近に迫ってきました東京五輪ですが、この先どのような日程で開催されることになるのか、現状では不明です。

選手にとってはそれまで如何に体調を維持していけばよいか、精神面でも大きな不安がのしかかってくると思います。

どんな状況になろうとも、一生懸命練習に励む姿は、たとえ結果が出なくても、私たちは決して批判できません。

このような予測できない事情では、誰も攻めることがぢ来ません。

何とか好調を維持して精いっぱい五輪本番で活躍して欲しい、今はただ祈ることぐらいしかできません。

皆さんで心から応援をしていきましょう。

頑張れニッポン! 新型コロナに負けず最後まで、金メダルを目指して頑張れ、永瀬 貴規!



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