東京で戦後2度目となるオリンピックとパラリンピックの開催まで、残り少なくなってきました。
今は出場選手選考の最終段階を迎え、各競技で内定者が続々決まりつつありますね。
そんな状況ですが、今厄介な問題で世界中が混乱している状況です。
新型コロナウイルスによる肺炎で患者の人たちがここへ来て、爆発的に増加しています。
亡くなる方たちも多くなってきました。
検査で陰性となった人であっても、後日再び肺炎の症状が出てきて再検査の結果、陽性となる人も増えてきています。
一体この世界中での感染は、どこまで続くのでしょうか?
専門家の人たちの間でも意見が分かれているようで、私たちも何を信じればよいのか不安な毎日を過ごしています。
一日でも早い終息を期待するしかありません。
そんな状況ですが、五輪へ向けて少しずつ選手の内定が決まってきました。
ここからはカヌー競技で日本代表が内定した、矢澤 亜季に焦点を合わせ、どんな選手なのかを見ていきたいと思います。
どうか最後までじっくりとご覧いただきたいと思います。
矢澤 亜季の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、矢澤 亜季の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
矢澤 亜季(やざわ あき)は、1991年(平成3年)11月5日生まれで28歳です。
長野県飯田市の出身で、身長は156cm、体重は54kgのカヌースラロームカヤックシングルの選手です。
最終学歴ですが駿河台大学を卒業しています。
現在の所属先は「昭和飛行機工業」です。
趣味はトレーニングと釣りだそうです。
3歳の時から日本舞踊西川流を習い始めたとのことで、茶道のたしなみもある純日本的な選手です。
カヌーを始めたのは小学3年生の時でした。
お父さんとお兄さんの影響を受けて始めたそうです。
中学校まで住んでいた飯田市ですが、近くには天竜川が流れていてとても自然に目踏まれた環境の下で育ちました。
アウトドアが大好きなお父さんですので、週末には自然と遊ぶことが多かったそうです。
お父さんとお兄さんがカヌーをしていたことで、亜季さんも始めました。
特にお兄さんですが、日本代表選手として活躍をされていました。
そのお兄さんもリオデジャネイロ五輪では矢澤亜季と共に出場を果たしています。
カヌーに本格的に取り組んでのは中学校へ進んだ時からで、その時にカヌーを買ってもらったそうです。
中学生時代は部活動に入らなくても良かったため、週末の練習と共に平日の3日間はカヌーの練習に励みました。
それ以外の日は日本舞踊と茶道の練習をしていたそうです。
日本舞踊ですがきっかけはお祖母さんがやっていたそうで、それを見ていた亜季さんは好奇心から興味を覚えて始めたとのことです。
オリンピックを目標にしたのも中学2年生の時で、ジュニア日本代表選手に選ばれた時、海外での試合を経験、楽しさと世界の選手との差を感じたとのことです。
このままでは世界の選手には追い付くことができない、と感じました。
中学校を卒業した後、お兄さんがいた東京都青梅市に上京しました。
大学へ進学した際、留学することも視野に入れていたそうですが、不安もあったので日本に留まり駿河台大学へ進学しています。
その理由は日本で同大学でオリンピック選手がコーチを務めていたことです。
その後めきめきと実力が向上し、2011年にはNHK杯に出場、見事に初優勝を遂げています。
その勢いから臨んだロンドン五輪のアジア最終予選中国大会でしたが、「兄妹でオリンピックに出場したい」との気持ちが強すぎたために、普段通りのパフォーマンスができませんでした。
そのためにオリンピックへの出場は、叶いませんでした。
そのショックから一時は引退も頭にかすめましたが、両親から「もう一回やるなら応援するよ」との温かいことばを受け、カヌーを続ける決意をしたそうです。
このような貴重な経験を活かし、全日本選手権、NHK杯共に4連覇の偉業を成し遂げました。
2014年にはアジア大会に出場し3位に入賞しました。

その後は強豪国であるスロバニアに拠点を移して練習に励みました。
スロバニアでは基本練習を繰り返し行ったそうです。
身体の使い方から始まり、ボートの使い方、流れの使い方、ストロークやリーンなどなど、今まで見逃していた基礎からじっくり学んだそうです。
新しいことを習うのはとても新鮮ですが、直すことが難しいとのこと。
しかし自分を変えるためには、何としても直していきたいとの強い意志で励んできたそうです。
コツコツと毎日基礎練習を重ねて、日々前進してきたわけですね。
2016年のリオデジャネイロ五輪では、僧侶をされているお兄さんの一輝選手と共に出場を果たしています。
2018年のアジア大会(ジャカルタ)では、見事に優勝し、金メダルを獲得しました。
これは日本女子では初の金メダル獲得だそうです。
素晴らしいことだと思います。
日本選手権ではカヤックシングルで出場し、6度の優勝を、カナディアンシングルでは4度の優勝を誇っています。
東京五輪2020に出場の内定が決まり、今後の活躍が大いに期待されています。
矢澤 亜季の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは矢澤 亜季の五輪の出場歴、成績を見ていきましょう。
ここまでの五輪出場歴ですが、2016年のリオデジャネイロ五輪に出場しました。
しかし本大会では実力を発揮できず、スラローム女子カヤックシングル予選で、21人中20位ということで予選敗退という結果に終わっています。
飯田市の羽場公民館では、パブリックビューイングが行われました。
出場した矢澤亜季に懸命に応援をしましたが、敗退となってしまいましたが、それでも応援で見物していた市民からは「よく頑張った」と、健闘をたたえていました。
ここではもう少し詳しくどんな選手なのかを、インタビューで答えていますのでそれをご紹介したいと思います。
質問:たくさんの習い事をされてきたようですが、どんな習い事ですか?
→ 水泳やピアノ、茶道、カヌー、日本舞踊(西川流)などを習いましたが、特に日本舞踊は長い間練習してきましたね。
質問:どんな時に癒される?
→ 実家で勝っている犬に会うときに癒されますね。
質問:どんな趣味を持っていますか?
→ スノーボードですね。カヌー競技に活かせるようにとトレーニングにもなりますから。
質問:最近、はまっていることは何ですか?
→ 海外では自炊することが多いのですが、ラテの機械を購入後は「ラテアート」にはまっています。まだあまりうまく作れませんが。
質問:海外で必ずすることは何ですか?
→ 私はお米が好きなので朝ご飯はおにぎりを作っています。海外ではありませんが、日本の空港ではお寿司が好きで食べてから出発しています。
以上、インタビューに答える矢澤亜季さんでしたが、かわいい女の子という感じがよく出ている気がしますね。
さあいよいよ間近に迫ってきた東京五輪ですが、まだどうなるかが分からず不安ではありますが、最後まで開催されることを望んでいます。
もし開催されたときは今まで培ってきた技術を、いかんなく発揮して欲しいと思います。
その時には皆さんで大きな声援を送りましょう。
それが出場する選手にとっては大きな支えになるものと確信しています。
頑張れニッポン! 金メダルを目指してガンバレ、矢澤 亜季!
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