いよいよ間近に迫ってきた東京五輪ですが、ここへきて色々な出来事が発生してきましたね。
一番心配なことは新型コロナウイルスの感染で、日本中に広まりつつあることです。
大勢の人たちが集まるようなイベントは、感染の恐れが大きいこともあって、中止になることが多いようです。
何とか一日も早く収まることを願うばかりです。
はたして本番ではどんな状況になるのか、私も気が気ではありません。
選手の人たちにとっては、より一層心配なのではないでしょうか。
今まであまり経験したことがない今回の感染は、人の命に大きくかかわることですから、非常に心配です。
そんな中ではありますが、ここからは男子マラソンで出場が内定した、服部 勇馬に的を絞ってどんな選手なのか、経歴やプロフィール、五輪出場歴や成績などを見ていきたいと思います。
最後までご覧ください。
服部 勇馬の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、服部 勇馬の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
服部 勇馬(はっとり ゆうま)は、1993年(平成5年)11月13日生まれで26歳です。
新潟県十日町の出身で、身長は176cm、体重は61kgの陸上競技長距離走・マラソンの選手です。
現在の所属先はトヨタ自動車です。
小学生の頃の運動は主にサッカーを楽しんでいたそうです。
中学へ進みサッカー部がなかったため、両親から勧められて陸上部に入りました。
3年生の時、全日本中学陸上の1500m走に出場、決勝で7位に入賞しています。
長距離には自信があったそうです。
高校は駅伝でも知られている仙台育英高等学校へ進学しました。
3年生の時、2011年青森インターハイの5000mに出場、5位に入賞しました。
日本人選手では、作新学院高校の横手健の4位に次いで2位でした。
最終学年で迎えた全国高校駅伝には、脱水症状を起こしてしまったため力を発揮できずに終わっています。
高校卒業後、東洋大学に進学しました。
1年生の時から駅伝のメンバー入りを果たしています。
2年生の時には出雲駅伝に5区で出場、17分54秒の成績で見事に区間記録を達成しました。
2014年の第90回箱根駅伝ではエース区間の2区を担当しました。
これは設楽啓太が2区から5区に回ったことで、服部勇馬が2区を走りました。
結果は区間3位の好走を見せ、東洋大学往路優勝と総合優勝に大きく貢献したことになります。
2014年の第58回熊日30kmロードレースでは、1時間28分52秒の好タイムで見事に優勝しています。
この記録は、前年度の同大会で設楽啓太が立てた学生新記録を更新した、素晴らしい記録でした。
2015年の第91回箱根駅伝では2区を走り、駒沢大の村山謙太や城西大の村山紘太兄弟など、各校のエースを抑える活躍で、これまた区間賞を獲得しています。
2015年7月のホクレンディスタンスチャレンジ北見大会では、5000mに出場し、13分36秒76の好タイムで東洋大新記録を樹立しました。
尚この大会では弟の服部弾馬も1500mに出場、同じく東洋大新記録を打ち立て、兄弟での東洋大記録保持者となっています。
これも素晴らしいことだと思います。
2015年11月の第47回全日本大学駅伝では、1区を走り3位まで同タイムの区間賞を獲得、2区を走った弟の服部弾馬にタスキをつないでいます。
その弾馬も3区で区間賞を記録、兄弟での区間賞リレーとなりました。
東洋大学はその後3区でも口町亮が区間賞とMVPをダブルで受賞する快走を見せ、最終の8区まで青山学院大学と先頭争いをしました。
最終的には8区を走った上村和生が、青山学院大のエース、山の神である神野大地を大きく離して、初の駅伝全国1位を掴んでいます。
4年生になった2016年の第92回箱根駅伝では、自身最後の箱根駅伝ということで、3年連続エース区間の2区を走り、箱根駅伝2区2年連続区間賞という快挙を遂げました。
これは日本人選手としては、早稲田大学OBの渡辺康幸以来20年ぶりということです。
しかしながら青山学院大学の完全優勝という結果に終わり、首位交代は果たせませんでした。
2016年2月、東京マラソンでマラソンデビューをしました。
この大会では35km地点でそれまで日本人トップを走っていた村山謙太を追い抜き、一時は日本人選手のトップに立ちましたが、40km付近で失速してしまい、全体では12位(日本人では4位)でゴールをしました。
東洋大学を卒業後、トヨタ自動車に入社をしました。
最初の内は大会には出ませんでしたが、下半期に入ってからは大会では自己ベストに近いタイムを出しています。
2016年11月の中部実業団駅伝競走に出場、最長区間である4区を走り、ルーキーながらも堂々と走り、50分32秒で見事に区間賞を獲得しました。
この結果チームの大会新記録優勝に大きく貢献しています。
2018年元旦に行われた全日本実業団対抗駅伝競走(ニューイヤー駅伝)では、花の4区を任され、その前の3区で20人抜きの快挙を見せた大石港与からタスキを受け、日立物流の日下佳佑をすぐ抜いて、ホンダの設楽悠太と並走した後、12km付近で競り勝ちました。
しかしチームは惜しくも2位となり、大会3連覇は達成できませんでした。
2018年12月2日の福岡国際マラソンでは、2時間7分27秒の好タイムで日本人として14年ぶりの優勝を成し遂げました。
その結果、2020年の東京五輪選考会であるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ東京)への、出場権を獲得、そこでは見事に2位に入り、東京五輪男子マラソン出場の内定が決まりました。
以上、ここまでは服部 勇馬の経歴、プロフィールを見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
実に素晴らしい成績を挙げてきている選手、ということが分かりましたね。
東京五輪本番での活躍が大いに期待されています。
服部 勇馬の五輪の出場歴、成績は?

それではここから服部 勇馬の五輪の出場歴、成績を見ていきたいと思います。
ここまで五輪の出場歴はありませんでした。
そこでここからは今までの大きな大会でのマラソンの成績を、年代順にまとめてみたいと思います。
・2016年 東京マラソン2016 12位(日本人では4位)2時間11分46秒 (初マラソン)
・2017年 東京マラソン2017 13位(日本人では4位)2時間09分46秒 (初のサブ10)
・2018年 プラハマラソン 5位 2時間10分26秒
・2018年 福岡国際マラソン 優勝 2時間07分27秒(自己ベスト)
・2019年 マラソングランドチャンピオンシップ東京 2位 2時間11分36秒(東京五輪男子マラソン代表内定)
以上のような成績を挙げています。
いずれも素晴らしい記録だと思いますね。
さあ、いよいよ東京五輪本番まで残り少なくなってきました。
特に今大会ではマラソンと競歩が、東京から北海道札幌に会場変更されました。
真夏の暑さ対策ということですが、選手の皆さんにとってはやはり動揺が起きているものと思われます。
しかし、今大会は自国開催という大きなアドバンテージがあるのも事実です。
ぜひとも頑張ってできれば優勝をしてほしいと願っています。
そのためには国を挙げて皆さんから大きなエールが必要ですね。
その声が選手の背中を強く推してくれるものと確信しています。
みんなで大きな声援を送りましょう。
頑張れニッポン! 最後まで諦めることなく優勝を目指せ、服部 勇馬!
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