松本 崇志の経歴、プロフィールは?五輪の出場歴、成績は?【射撃】




2020年(令和2年)、東京で戦後2回目となるオリンピックとパラリンピックがいよいよ間近に迫りました。

前回行われた五輪は、昭和の世代でその目的は現代と少し違っていた気がします。

今回は日本の大震災からの復興を果たしてきた、また果たしつつあり元気になったところを見てもらうため、との目的があるようです。

果たしてその姿を、世界の人たちはどのように見て、感じるでしょうか。

現在は、各競技ごとに出場選手を決めるため、様々な大会などが行われ、続々と内定者が誕生しています。

ここからは、普段あまり縁がない?射撃競技を取り上げてみたいと考えています。

こういっては、射撃選手や射撃競技ファンの人たちに失礼かもしれませんが、お許し願いたいと思います。

今回、射撃競技で出場が内定した松本 崇志選手にスポットを当てて、どんな選手なのかを見ていきたいと思います。

最後までご覧ください。

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松本 崇志の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、松本 崇志の経歴、プロフィールを見ていきましょう。

松本 崇志(まつもと たかゆき)は、1984年(昭和59年)1月10日生まれで36歳です。

長崎県島原市の出身で、身長は168cm、体重は65kgの射撃(ライフル3姿勢・エアライフル)選手です。

高校は島原工業高等学校で、ライフル射撃を始めました。

2年生の時、富山国体に出場、見事に初優勝をしました。

その後、国体では12度の優勝を飾っています。

これは実に素晴らしいことだと思います。

最終学歴は日本大学で、卒業後の所属先は自衛隊体育学校です。

2012年10月、同じ日大出身の女子エアライフルの古野本真希さんと結婚されています。

2018年の世界選手権大会では、ご夫婦そろって混合エアライフルに出場しています。

同年行われたアジア大会では、銅メダルを獲得する活躍を見せました。

2019年11月には、五輪最終選考会を兼ねて行われた、アジア選手権男子ライフル3姿勢で、日本選手では最高の11位に入り、初めての五輪出場内定が決まりました。

五輪への出場は、高校生の時からの目標だったそうですから、さぞかし嬉しかったことと思います。

35歳の時に決めたわけですから、うれしさもひとしおでしょうね。

ぜひ本番でも頑張ってほしいと思っています。

ところで松本選手の所属先は自衛隊とのことですが、ここで少しご紹介したいと思います。

自衛隊体育学校(略称:体校)は、1964年の前回の東京五輪大会以降、夏の五輪大会では、不参加となったモスクワ五輪大会以外は、すべての五輪に選手を送ってきました。

その数、実に143人ということです。

獲得してきたメダルは全部で20だそうです。

金メダルが8個、銀メダルは4個、そして銅メダルが8個という内訳です。

実に素晴らしい成績を上げてきていますね。

あまりこれは知られていないようで、私も初めて知りました。

この輝かしい成績を収めてきている体校とは、一体どんなところなのでしょうか。

場所は埼玉県の陸上自衛隊、朝霞駐屯地の西側の一角にあります。

正式な所在地は東京都練馬区ですが、地図の上では埼玉県朝霞市です。

余談ですが冬季五輪のバイアスロンとクロスカントリースキーの拠点でもある「冬季特別体育教育室」というのは、北海道札幌市の陸上自衛隊、真駒内駐屯地内にあるそうです。

体校の射撃場(射場という)は、近くの朝霞訓練場にあり、前回の東京五輪の施設を譲り受けました。

長年使用してきましたので、国際ルールに準じる必要から、リニューアルしました。

今年の五輪本番では、別に同訓練場内に新設されるとのことです。

体校生専用の食堂があります。

選手によっては減量や増量を迫られる選手も多いようで、バイキング形式で選手自身が食べる量を自分で決められるとのことです。

医官という人や管理栄養士という人がいて、選手個々にサポートをしています。

以上、ここまでは松本 崇志の経歴とプロフィール、自衛隊のことにも触れてみました。

五輪本番での活躍が期待されますね。

松本 崇志の五輪の出場歴、成績は?

それではここからは、松本 崇志の五輪の出場歴、成績を見ていきましょう。

ここまでは五輪への出場はありませんでした。

競技歴は20年で、高校と大学、さらには社会人でも日本一になりました。

エア立射の第一人者」と言われてきましたが、なぜか五輪だけは縁遠かったようです。

2008年の北京五輪は5位で代表内定でしたが、世界選手権では1点差で6位でした。

2012年のロンドン五輪、2016年のリオデジャネイロ五輪も、紙一重で代表入りを逃しています。

そんなことが続いたことで、松本は焦りを感じ、それがいつの間にか迷いを生んできました。

持ち前の勝負強さに陰りが生じてきたのです。

転機が訪れたのは、リオへの切符を逃した後の2016年4月でした。

「思い切って一度競技から離れてみよう」との考えで、陸上自衛隊の幹部候補生学校へ入校しました。

10か月の間、銃を手にせず厳しい訓練に打ち込みました。

総重量30キロのリュックを背負って、100kmの距離をひたすら歩いたこともあったそうです。

この厳しい訓練に耐えることで、心身ともにたくましさが増しました。

その成果が表れたのは、2018年 ジャカルタ・アジア大会でライフル3姿勢での銅メダル獲得です。

2018年秋に行われた全日本では、3種目で優勝を成し遂げています。

ここからはライフル射撃について少し詳しく見ていきましょう。

ライフル射撃競技は1896年(明治29年)の、第1回アテネ五輪大会から実施されました。

わずかな心の揺らぎでも結果を大きく左右します。

まさしくメンタルのスポーツですね。

「いいかっこをしようとか、絶対に10点(標的の中心)を入れてやろうと意識をした瞬間、力んでしまい的を外します。だからこそ一発の積み重ねが大切なんです」と各選手達は語っています。

松本選手は毎日の練習が5時間にも及んでいるそうです。

心の揺らぎを抑えるために、私生活でもできるだけ感情の起伏を小さくする努力を重ねているとのこと。

このように厳しい条件で行われる射撃競技は、やはり精神面が大きく影響します。

そのため、今回は自国での開催ということで、大きなアドバンテージに成り得ます。

しかも競技会場は自ら所属している自衛隊体育学校の朝霞駐屯地ということですから、地の利は絶大といえますね。

松本はこう語っています。

「環境や場所、人の優位性で特別な大会です。ただ、周りの期待、変化もあります。その中で勝つためのプロセスをしっかりと続けていきたい」

このように強い気持ちを打ち明けています。

ぜひ頑張ってほしい、普段の実力通りでいいんです。

大いに頑張ってもらいたいと念願しています。

最後に皆さんで大きな声でエールを送りましょう。

頑張れニッポン! 最後まで集中だ! 金メダルを目指してガンバレ、松本 崇志!

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