平成から令和に年号が変わって早くも半年が経過しました。
時の流れは速いもので、その令和元年も、間もなく終わろうとしています。
今年は様々な出来事がありましたが、中でもスポーツ界では様々な話題を呼びましたね。
一番大きな出来事は、アジアでそして日本でも初となったラグビーワールドカップの日本大会でした。
今まであまりラグビーに興味を持たなかった人たちに、ラグビーの面白さやその精神力など、多くのものを私たちに教えてくれた気がします。
史上初のベスト8入りを果たしたスコットランド戦では、ものすごい感性と大きな拍手が、日本中に広がりました。
今後もラグビーの人気は続いていくことと思われます。
一方、毎年正月には恒例の箱根駅伝が開催されます。
2020年度は果たしてどの大学が優勝するのか、興味は尽きません。
ここからは、その箱根駅伝の常連校でもある、東洋大学の4年生、今西 駿介にスポットを当て、内定した就職先や経歴、プロフィールなどをお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりご覧ください。
今西 駿介(いまにし しゅんすけ)、東洋大学の進路、就職先は?

早速ですが、東洋大学の今西 駿介の就職先をお伝えします。
その会社は、トヨタ自動車九州です。
ここからはそのトヨタ自動車九州について、どのような会社なのか、詳しく見ていきたいと思います。
正式な会社名は、トヨタ自動車九州株式会社です。
福岡県宮若市に本拠があり、あのトヨタ自動車が100%出資している車体製造会社です。
設立は1991年(平成3年)2月8日です。
業種は輸送用機器になります。
事業の内容ですが、自動車及び自動車部品の開発・設計・製造・販売を行っています。
現在、年間約30万台の生産を行っており、そのうちの約80%は海外に輸出されているとのことです。
他には、ハイブリッドカー用のトランスアスクル(トランスミッションとファイナルギア・ディファレンシャルギアを一体化した装置)、V6型6気筒エンジンの製造もおこなっています。
2005年(平成17年)以降は、日本でレクサスというブランドを展開していますが、トヨタ自動車田原工場とこのトヨタ自動車九州が、レクサス車専用工場となっています。
実際には一部ですが、レクサス車とメカニズムを共有している、SAIという車種も2017年まで、ここで生産されていたとのことです。
トヨタ自動車九州は運動部も盛んな会社で、特に1999年(平成11年)に創設された陸上競技部は、特に強い選手が育ってきました。
バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリストの、森下広一氏が指導者に就任しています。

その後、サムエル・ワンジルが所属、北京五輪男子マラソンでは、見事に金メダルを獲得しています。

又、三津谷祐は、2005年と2007年の世界選手権に、日本代表として出場しました。
そして今井正人は、東京マラソン2015に出場し、日本歴代6位となる2時間07分39秒を記録しています。
又、毎年元旦に開催されている全日本実業団対抗駅伝競走大会(略称:ニューイヤー駅伝)には、2010年から6年連続出場中で、2013年と14年には2位に入賞する好成績を残しています。
それでは現在のトヨタ自動車九州に所属しているスタッフと、選手をここでご紹介します。
監督は森下広一、主将は渡邉竜二、選手は今井正人、大津顕杜 が所属しています。
このメンバーにおそらく2020年4月から、今西 駿介が加わって今後は共に練習に励み、各大会にも出場すると思われます。
ぜひ、早く環境に慣れて、素晴らしい成績を上げて欲しいと思います。
今西 駿介の経歴、プロフィールは?
それではここからは今西 駿介の経歴、プロフィールを見ていくことにしましょう。
今西 駿介(いまにし しゅんすけ)は、1997年(平成9年)8月29日生まれで22歳です。
宮崎県高原町の出身で、身長は173cm、体重は56kg、陸上競技の中・長距離走選手です。
高原町立高原小学校を経て、高原中学校、高校は小林高等学校へ進み、東洋大学経済学部に進学しました。
陸上を始めたのは中学生の時です。
それ以前は野球が好きでピッチャーをしていたそうです。
小林高校は高校駅伝では名門校として知られています。
何と全国高校駅伝ではこれまで7回の優勝を飾っているとのことで、いかに駅伝に強いかが分かりますね。
駅伝部というのが独立して存在しているとのことです。
この小林高校のOBには、バルセロナ・アトランタ五輪で日本代表となった、谷口浩美選手がいます。

谷口選手も日体大時代には、箱根駅伝で6区を走り、3m年連続区間賞を獲得していることで知られています。
小林高校の出身者が箱根の山下りを得意としている、これは伝統といっても良いのではないかと思います。
素晴らしいと思いますね。
今西 駿介ですが、小林高校時代には全国高校駅伝大会に3年連続出場しています。
1年時は5区を走り区間6位でした。
2年時は3区を走り区間4位、3年時は3区を走り区間6位の成績を残しています。
特筆すべきは2年生の時で、39位だった順位を17位まで押し上げる、22人抜きという離れ業を成し遂げています。
これまた実に素晴らしい活躍ですね。
東洋大学在学中は2年時の出雲駅伝がデビューとなりました。
箱根駅伝ではトップで6区の山下りを任されましたが、途中で後から来た青山学院大学の小野田選手に抜かれてしまい、そのまま2位に転落してしまいました。
3年生になったときは、この時の悔しさをばねとして頑張りました。
出雲駅伝で区間賞を、さらには全日本大学駅伝でも区間4位になるなど、実績を残しています。
いよいよ迫ってきた、2020年度の箱根駅伝は大学最後の駅伝大会となります。
現段階ではどの区を任されるかは不明ですが、任された以上は、最後まで力の限り頑張ってほしいと思います。
ここ何年か優勝から遠ざかっている東洋大学には、ぜひ優勝を目指してほしいと念願しています。
テレビでしっかりと応援をしたいと思っています。
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