2019年の師走もいよいよあと残りわずかとなりました。
令和元年から半年経が経過したことになりますが、今年も様々な出来事があった1年でした。
中でもスポーツ関連で大きな話題がありましたね。
アジア出始めて、そして日本でもはじめてとなるラグビーワールドカップが開催されましたが、大会前にはあまり人気がなかったようでしたが、いざ始まってからは、日を追って人気が高まりましたね。
それまでラグビーの試合を観たことがなかった私も、連日の熱狂ぶりに圧倒され、とても感動を覚えました。
その他のスポーツでもお正月定番の東京箱根間大学駅伝競走は、楽しみな一つです。
ここからはその箱根駅伝の常連校でもある、國學院大學の4年生、青木 祐人に的を絞り、就職先や経歴、プロフィールなどをお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までご覧いただきたいと思います。
青木 祐人(あおき ゆうと)、國學院大學の進路、就職先は?

早速ですが、青木 祐人の就職先は、トヨタ自動車に内定したとのことです。
ここからはトヨタ自動車という会社について、どんな会社なのかを見ていきたいと思います。
日本ではあまりにも有名な会社ですので、皆さんすでにご存知の方も多いと思います。
日本では最大の大手自動車メーカーです。
トヨタ自動車は豊田自動織機を源流とするトヨタグループの中核企業で、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、SUBARUの筆頭株主です。
トヨタグループは2018年の世界販売台数は世界3位で、販売台数はおよそ1059万台で、トヨタのブランド単独ではおよそ886万台を販売していますが、これは世界1位とのことです。
ここからは、トヨタ自動車の歴史をたどってみたいと思います。
豊田佐吉氏が愛知県刈谷市に創業をした、豊田自動織機製作所内に1933年(昭和8年)9月に開設した自動車部が、トヨタ自動車の起源です。
その佐吉氏の息子の豊田喜一郎氏が中心になって設立しましたが、初代社長は娘婿で義兄の豊田利三郎氏でした。
1937年(昭和12年)8月28日に独立した新会社として、広大な敷地のある愛知県挙母市(現在の豊田市)に設立、本社と工場が設置されました。
創立記念日は本社工場が竣工された11月3日です。
最初はとよだと濁って呼びましたが、その後とよたという名前で呼ばれるようになり、トヨタ(TOYOTA)の使用が開始され、その後は統一されたそうです。
本社の所在地も最初は挙母市大字下市場字前山8番地であったものを、豊田市トヨタ町1番地に変更されました。
これは日本企業城下町では、市の名前に企業の名前が採用されたということで、稀な事例と言われています。
その後日本の経済成長が著しく向上するのに伴って、自動車産業も大きく発展しました。
いわゆる高度成長期に合わせて、ぐんぐん大きく発展していきました。
そして1982年(昭和57年)には、それまで別会社であったトヨタ自工とトヨタ自販が合併、現在のトヨタ自動車株式会社となりました。
新会社の社長には豊田章一郎氏が就任、豊田英二氏は会長になりました。
1989年(平成元年)にはアメリカを主要マーケットとした、上級ブランドの「レクサス」を立ち上げています。
1997年(平成9年)には、高級SUVの先駆けとなる「ハリアー」を、そして世界初の量産型ハイブリッドカーである、「プリウス」の販売を開始しました。
プリウスですが、その後の世界的な売れ行きは、まさにトヨタの看板車といっても過言ではありません。
道路を走る車ですが、どこを見てもプリウスがやたらと目につくようになりましたね。
その後、2011年に起きた東日本大震災やタイでの大洪水等が発生、また記録的な円高もありトヨタグループの世界販売台数は、GMとフォルクスワーゲングループに抜かれて、世界第3位に後退したりしました。
それを危機感としてとらえた豊田章男社長は、全社VA活動やVA開発部を発足させるなどを行い原価低減に努めました。
その効果もあり2012年(平成24年)には、過去最多となる世界販売台数、974万7762台を達成、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還しています。
その後も順調に会社は利益を伸ばしていますが、省略させていただきます。
スポーツ関連ですが、トヨタ自動車陸上長距離部という男子の部があります。
マラソンや駅伝など長距離走を専門とした部になっています。
2008年(平成20年)には、元コニカミノルタのコーチであった佐藤敏信氏を監督として迎えました。
それ以来各大会で実績を上げ、2011年(平成23年)には全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)で、見事に初優勝を遂げています。
2015年(平成27年)には4年ぶり2回目の優勝を成し遂げました。
翌2016年にも優勝し、大会2連覇を達成しました。
これまで佐藤敏信監督就任後10年連続入賞という、輝かしい記録も残しています。
現在のトヨタ自動車陸上長距離部のスタッフと所属選手をご紹介します。
・監督 佐藤敏信
・コーチ 熊本剛
・キャプテン 大石港与
選手は以下の通りです。
藤本 拓、田中 秀幸、早川 翼、松本 稜、窪田 忍、宮脇 千博、山本 修平、服部 勇馬、西山 雄介、近藤 聖志、ニコラス・コシンベイ、安井 雄一、森挙真、畔上 和弥、堀尾 謙介、山藤 篤司、アレックス・テェイロ などの選手が所属しています。
おそらく2020年4月から、このメンバーに青木祐人が加わって共に活動するものと思われます。
ぜひ頑張ってほしいと思います。
青木 祐人の経歴、プロフィールは?
それではここからは青木祐人の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
青木 祐人(あおき ゆうと)は、1997年(平成9年)4月27日生まれで22歳です。
愛知県豊田市の出身で、身長は169cm、体重は53kg、陸上競技の中・長距離選手です。
豊田市立末野原中学校を経て愛知高等学校へ進み、國學院大學に進学しました。
この中で愛知高校の出身者では、中日ドラゴンズの祖父江大輔選手、元サッカー日本代表で現サッカー解説者の秋田 豊さんなどがいます。
國學院大學では1年生の時に大学三大駅伝にデビューをしました。
箱根駅伝では2年生の時に3区を走り、区間5位という好成績を残しています。
3年生の箱根駅伝でも3区を走り、区間6位に入って國學院大學としては過去最高順位の総合7位に貢献しました。
4年生になり10月の出雲駅伝では4区を担当し、区間5位の成績で初優勝に貢献しています。
11月の全日本大学駅伝では青木選手は5区を走り、区間新記録を樹立するとともに見事に区間賞を獲得しています。
國學院大學は2020年の箱根駅伝では、往路優勝と総合3位を目標としています。
往路優勝のカギは3区を走るであろう青木選手の活躍に掛かっています。
ぜひとも頑張って、有終の美を飾ってほしいと願っています。
以上、トヨタ自動車に内定した青木祐人選手について、お伝えしました。
これからも長く活躍をして欲しいと思っています。
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