NPB日本野球機構も2019年度の日程をすべて終了し、現在各球団では契約更改に取り組んでいる状況です。
今年の成績を振り返って、来年度の契約を更新するわけですが、選手と球団の間で様々な思惑が飛び交っているようです。
そんな中にあって、読売巨人軍の増田大輝も契約交渉が終わりました。
ここからは増田大輝のこれまでの経歴とプロフィール、成績と年俸額の推移やプライベート関連など、気になるところをお伝えしたいと思います。
どうか最後までお付き合いください。
増田大輝の経歴、プロフィールは?

それでは早速ですが、増田大輝の経歴、プロフィールを見ていきましょう。
最初に経歴をお伝えします。
小松島高等学校時代は、野球部の主将を務めていました。
その3年時には高校四国選抜チームに選出され、ハワイ遠征にも参加しました。
高校を卒業した後、近畿大学へ進学しましたが2年の時に中退しています。
そしていったんは帰郷します。
その時にはとび職についていましたが、高校の時のコーチの薦めで「四国アイランドリーグplus」のトライアウトを受けました。
その時は徳島インディゴソックスから3位で指名を受けて入団しています。
2014年にはルーキーでしたが二塁手としてレギュラー入りを果たし定着しました。
同年、同チームは独立リーグ日本一という輝かしい成績を収めました。
素晴らしいことだと思います。
さらに翌2015年には選抜チームの「四国アイランドリーグplus ALL STARS」の一員として、北米遠征を経験、打率0.260という好成績を残しています。
その活躍で2015年10月のNPBプロ野球ドラフト会議で、巨人から育成ドラフト1巡目で指名を受けました。
育成選手ということでしたが1巡目の指名は、大したものだと思います。
巨人に入団した2016年度は、残念ながら支配下登録はなりませんでしたが、三軍監督の川相昌弘からは、成長株選手であるとして、その名を挙げられるまでになったのです。
2017年度はオープン戦で代走、守備固めに登場し12試合に出場しています。
二軍においては19試合に出場し、打率は0.265で本塁打が1本、8打点を記録しました。
その結果7月28日には待望の支配下登録で、背番号98を与えられました。
これは増田大輝にとっては、とっても嬉しかったに違いありません。
そして時は流れ2019年度においては、4月19日に待望の一軍に昇格、主に代走や守備要員でしたが、出られる喜びを味わいました。
そして忘れもしない4月23日のヤクルト戦で初打席、初安打、初打点を記録しました。
これはおそらく増田大輝にとっては、一生忘れられない思い出となったと思いますね、なんせトリプルですから。
素晴らしいと思います。
普通は中々こんなにうまく事が運ぶことがありませんから、うれしさもひとしおだったと思います。
さらに5月5日、広島戦では1番2塁手としてプロ入り初のスタメン起用となりましたね。
巨人軍の育成出身内野手ではチーム初となりました。
おめでとうございます。
うれしいことにチームが5年ぶりに優勝を決めた、9月21日のDeNA戦では、延長10回表に相手投手の三嶋一輝から決勝のタイムリーを放つ活躍を見せました。
実に素晴らしい活躍で、見ていて思わず涙が出てくるような、すばらしい感動を覚えました。
シーズン中はチームでトップとなる15個の盗塁も決めています。
これからますます存在感を期待できる選手に成長しましたね。
以上、経歴をお伝えしました。
続いて増田大輝のプロフィールをお送りします。
増田 大輝(ますだ だいき)は、1993年(平成5年)7月29日生まれで今年で26歳になりました。
徳島県徳島市の出身で身長は172cm、体重は68kgと小柄な体型ですが、俊敏さは他の選手に負けないくらいのものがあります。
右投右打で内野手で登録されています。
プロ入り前ですが、高校は小松島高等学校、大学は近畿大に入りましたが、2年の時に中退しています。
テレビの報道番組で2018年6月20日に「壮絶人生ドキュメント、プロ野球選手の妻たち」で取材を受け、放映されています。
巨人軍に入団後は阿波市に妻子を残して球団の寮で、単身赴任として生活を送っています。
頑張り屋さんであることがこれでも分かりますね。
これからもますます応援したくなりました。
頑張ってほしいと思っています。
以上、ここまでは増田大輝の経歴及びプロフィールをお伝えしました。
増田大輝の成績、年俸の推移は?
それでは増田大輝選手のここまでの成績と、年俸額の推移を見てみたいと思います。
最初は独立リーグ時代の成績をお伝えしたいと思います。
年度 / 試合数 / 打数 / 安打 / 打点 / 打率 / 本塁打 / 盗塁 の順にお伝えします。
<徳島時代>
2014 / 76 / 281 / 74 / 26 / 0.263 / 1 / 11
2015 / 67 / 234 / 49 / 14 / 0.209 / 1 / 18
通算 / 143 / 515 / 123 / 40 / 0.239 / 2 / 29
<巨人時代>
2019 / 75 / 50 / 10 / 6 / 0.200 / 0 / 15
以上、ここまでの成績をお伝えしました。
続いて巨人軍での年俸額の推移を見てみたいと思います。(金額は推定です)
年度 / 年俸(万円) / 差額(万円)の順にお伝えします。
2016 / 240 / —
2017 / 290 / +50
2018 / 440 / +150
2019 / 500 / +60
2020 / 1500 / +1000
以上が増田大輝の年俸額の推移でした。
一気に1000万円のアップということですから、きっとうれしかったと思いますね。
来年もこの調子で頑張ってほしいと願っています。
増田大輝には嫁と子供はいるの?
それではここからガラッと変わって、増田大輝のプライベートに関する話題をお送りしたいと思います。
調べてみたところ、増田大輝選手ですが、独立リーグの徳島に在籍時の2015年(平成27年)2月に、一般女性の「優香さん」と結婚をされています。
お二人の間には2人の息子さんがいらっしゃるとのことです。
お二人の出会いは徳島県でした。
当時、優香さんは徳島県内の高校を卒業し、地元の会社に勤めました。
小さいころから野球が好きだったそうで、勤務先では野球部マネージャーとして活躍をされたとのことです。
野球に縁があったということになりますね。
優香さんが20歳の時に、増田大輝と出会うことになります。
その際、増田大輝が高校野球では強豪の「徳島県立小松島高等学校」の、キャプテンを務めていたということを知らされました。
当時の増田大輝は、とび職の仕事をしていましたが、四国アイランドリーグplusのトライアウトを受けるということを、優香さんに告げました。
これがきっかけとなり野球を通じて意気投合、以来交際を始めたとのことです。
そして増田大輝はプロ野球入りを目指すことになりました。
徳島時代には試合があるたび毎試合観戦に行きました。
新聞の切り抜きも集めていたそうですが、夫を少しでも元気づける奥さんは、素晴らしいと思いました。

しかも試合でのバッティング動画を撮影し、サポートに余念がありませんでした。
独立リーグで優勝を果たした際、増田大輝は優香さんに結婚を申し込んだそうです。
しかしながら、独立リーグの年収は60万円そこそこで、生活は楽ではありませんでしたので、シーズンオフにはアルバイトで生計を立てていたとのことです。
最初、優香さんのお父さんも生計が成り立たないことを心配し、結婚には反対だったそうですが、優香さんの熱意に対して結婚を許したそうです。
その後、巨人軍に育成ではありましたが指名を受けて、見事に夢を叶えたわけですから、お二人にとって、幸せな時期だったことと思います。
今季の増田大輝選手の活躍に対しては、優香さんもお父さんもとても喜んだことだろうと思います。
来年以降もますますの活躍を、私たちも温かく見守っていきたいと思います。
そして大きな声で声援を送ろうではありませんか。
ガンバレ読売ジャイアンツ! 日本一を目指して、頑張れ増田大輝!
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