令和1年(2019年)のプロ野球もいよいよ佳境に入ってきました。
今年の東京ヤクルトスワローズは最近好調のようですね。
何しろバッティングの破壊力と言ったら他のどのチームにも決して負けていません。
怖いのは怪我だけですが、そのけがを負ってしまい1軍から抹消されていたバレンティン選手が、復調して1軍に戻ってきたといううれしい情報が入ってきました。
ここからはその東京ヤクルトスワローズの中心バッターで破壊力抜群のバレンティン選手について、詳しく見ていきたいと思います。
バレンティンの応援歌はどんな曲?
プロ野球選手には打者としてバッターボックスに入ったときに、応援歌が球場に流れるようになりましたね。
ヤクルトの4番打者として今季も大活躍をしているバレンティン選手ですが、一体どんな応援歌が流れるのでしょうか。
そこでどんな曲が流れるのか早速調べてみました。
以下、歌詞をお伝えします。
尚、この歌詞はYouTubeから引用させていただきました。
勝利の女神が微笑む スタンド揺るがすひと振り アーチを描け Go! バレンティン
(ゴーゴーレッツゴー!バレンティン!)”
この応援歌を聞いてみましたが、とてもいい歌詞だと思います。
ホームランバッターだけあってこの歌詞はバレンティン選手の特徴をよく表していると思います。
きれいな放物線を描いて外野スタンドへ消えてゆくホームランには、見ていて感動すら覚えてきますね。
そしてどよめきの声援が神宮球場を一杯にする瞬間、ファンのうれしい気持ちが爆発するようですね。

バレンティンの怪我が治って1軍に戻ってきたの?
そんな素晴らしいバレンティン選手ですが、プロフィールや経歴などをひも解いて見たいと思います。
名前は「ウラディミール・ラモン・バレンティン」といいますが、1984年(昭和59年)7月2日生まれで現在34歳です。
国籍はオランダですが出身地はアンティル自治領ウィレムスタット(現在はキュラソー自治領)です。
身長は185cm、体重は100kgの恵まれた体格の持ち主です。
右投右打の外野手で、現在は東京ヤクルトスワローズの中心打者です。
現在までの経歴ですが、初めて野球をしたのは5歳の時でした。
12歳になってリトルリーグに所属をしてから本格的に野球に取り組みました。
最初にメジャーでのチームは16歳の時に入った「シアトル・マリナーズ」でした。
肩の強さには定評があって当時マリナーズに在籍していたイチロー選手と、チームで1~2位を争うほどの強肩外野手として名をはせていたそうです。
マリナーズでは11番目の期待される選手でマイナーリーグでは「彼ほど楽しみな選手はいない」との評価を得ていたそうです。
結局マリナーズには2007年から2009年まで3年間在籍をしました。
その後2009年にシンシナティ・レッズに移籍をしましたが、その特に超特大のホームランを放っていて、推定の飛距離は何と151メートルだったとのことで、「メジャーでは二度と出ないだろう」と評判だったそうです。
そして2010年11月18日に強肩と状況に応じて打ち分けられる技術を買われ、東京ヤクルトスワローズとの間で2年契約が交わされました。
そして同年のセリーグでホームラン王に輝くことができたのです。
打率こそ0.228という低い結果ではありましたが、31本の本塁打で見事に来日1年目にして獲得したわけですから、素晴らしいことだと思います。
それ以来現在までヤクルトのホームランバッターとして活躍をしていることは、ご存知の通りです。
特に素晴らしい成績を上げたのは2013年(平成25年)度のシーズンでしたね。
その年は5月まではあまり調子が出ませんでしたが、6月に入ってからは特にホームランを量産し、シーズン終了時の10月4日の阪神戦では、メッセンジャー投手から日本プロ野球シーズン本塁打新記録である60号のホームランを放ちました。
この本塁打記録ですが、おそらくこれから先、更新する選手は出てこないのではないかといわれるくらい素晴らしい成績です。
日本プロ野球史上初となる60本台の本塁打が出たわけですから、まさにすさまじい記録といえますね。
バレンティン選手ですが今年は5月に入ってから、上半身のコンディション不良ということで1軍から離脱をしていました。
その怪我も順調に直ってきたとのことで、5月16日に球団から発表があり、5月17日の神宮球場での横浜DeNAベイスターズ戦で1軍復帰をする、とのことでした。
途中経過ですが、バレンティン選手は4番レフトで先発出場し、1回裏の1打席目は2死1塁で見逃しの三振に倒れました。
4回裏の2打席目には無死1塁で内角スライダーをセンターへヒットを放ちました。
さすがにホームランは出ませんでしたがきれいにセンター前へ打ち返しました。
そして6回裏の3打席目は無死1塁の好機でしたが、高めのボール球につられて空振り三振に倒れてしまいました。
7回裏には1死満塁という絶好のチャンスで4打席目に入りました。
外角の直球を打ちましたが、セカンドフライに倒れてしまいました。
3対4と1点のビハインドで9回の裏2死一塁にランナーを置いて5打席目を迎えて打席に入り、DeNAベイスターズ抑えの山崎康晃投手から、詰まりながらもレフトへヒットを放ちました。
1塁に出塁したところで田代選手に代走が送られたので、バレンティン選手はベンチに下がりました。
結局この日は5打席2安打という成績を上げましたが、復帰後すぐに良い結果を出しましたね。
しかしチームはあと1点が取れず、試合は3対4でヤクルトは惜しくも敗戦となってしまいました。
でも最後まで見ごたえのある素晴らしい試合だったと思います。
明日以降ヤクルトの主砲としてまた活躍をしてくれることを期待したいと思います。
バレンティンの年棒の推移は?
それではバレンティン選手の年棒額の推移を見てみましょう。(金額はすべて推定です)
2011年は6000万円、2012年は7500万円、2013年は8000万円、2014年は2億円、2015年は2億5000万円、2016年は3億6000万円、2017年は3億3000万円、2018年は3億3600万円、2019年は4億4100万円という年棒金額の推移となっています。
これを見ていますと、2013年度の大活躍で2014年は2.5倍に跳ね上がり2億円を達成していますが、素晴らしい成績を挙げたことが証明されていますね。
いよいよこれからはセ・パ交流戦や途中でオールスターゲームなどを挟んで、後半戦に突入し各チーム間での熱い戦いが佳境を迎えるわけですね。
それまで体調を崩さずバレンティン選手の活躍を大いに期待したいと思っています。
その大活躍がなされたときは、セリーグ優勝と共に日本一も決して夢ではなくなります。
観客の声援と東京音頭できれいな傘の花を、神宮球場全体に咲かせてほしいと念願しています。
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