2018年もあと残りわずかとなって何かと慌ただしい日々が続いていますね。
今年も日本のスポーツ界は数々の話題が豊富でしたが、特に12月に入ってからは、フィギュアスケートの話題が取り上げられています。
そんな中、12月21日から全日本フィギュアスケート選手権大会が開始され、現在熱く盛り上がっていますね。
ここからはその中でも特に女子フィギュアスケートに的を絞ってお伝えしたいと思います。
今回は、三原舞依選手について、最新情報を交えてお伝えしたいと思います。
Contents
三原舞依の生い立ちと経歴は?
それでは早速三原舞依選手の生い立ちについて見ていきたいと思います。
三原舞依(みはらまい)は1999年(平成11年)8月22日生まれで出身は兵庫県神戸市で、身長は156cm、血液型はA型です。
神戸市立東須磨小学校卒、神戸市立飛松中学校を経て、兵庫県立芦谷高等学校を卒業しましたが、現在は甲南大学経営学部に在学中です。
小学2年生の時にテレビで浅田真央選手の演技を見て、あこがれたのがスケートを始めたきっけだそうで、今も浅田真央選手のことを尊敬しているとのことです。
家族についてですが、ご両親とお兄さんの4人家族ですが、あまりご家族についての詳しいことはわかりません。
三原舞依選手の趣味はショッピングに行くことや、スケート鑑賞、そしてけん玉が得意で、後は写真と音楽鑑賞だそうで須賀、いろいろなことに関心があっていいと思います。
現在所属先は「シスメックス」ですが、同僚でありライバルでもある坂本花織選手も同じ所属先だそうです。
甲南大学では経営学科に入りましたが、スケートリンク上に掲示している広告の仕組みを勉強し、マーケティングについて学んでいるという勉強家です。
選手生活が終わってからの人生設計に対しても、きちんと計画を立てていることに、素晴らしいと感じました。
三原舞依のスケート履歴は?
それではここからは肝心のスケート履歴についてお伝えしたいと思います。
ノービス時代としての2012年から13年のシーズンでは、全日本ノービス選手権Aクラスで3位に入りました。
推薦を受けて初出場の全日本ジュニア選手権大会では8位に入る健闘をしました。
2013年にはプランタン杯で、見事にノービスクラスの優勝を果たしています。
ジュニア時代では2013年から14年に、アジアフィギュア杯でジュニアクラスの2位に入り、ISUジュニアグランプリシリーズに初めて参戦、JGPミンスクにも出場しました。
全日本ジュニア選手権大会では優勝した本郷理華に次いで2位に入り、同大会で初めて表彰台に立つことができました。
2014年~15年のシーズンでは最初はあまり奮いませんでしたが、シーズン締めくくりの2015年ガルデナスプリング杯ではジュニアクラスで、見事に優勝を果たしました。
2015年から16年のシーズンは2015年のアジアフィギュア杯でシニアクラスに出場しましたが、これも見事に優勝しています。

しかし2015年には大きな出来事に見舞われてしまいました。
それはJGPファイナルでスペインから帰国後、難病にかかってしまい、2週間ほど入院生活を送りました。
シニア時代以降ですが、2016年から17年は病気の治療に専念したブランクがありましたが、退院したのち2016年4月から、表情での練習を再開できるようになりました。
きっとその時の嬉しさは、本人でなければ分からないくらい、うれしかったのではないかと想像されますね。
そしてシニアシーズンの初戦であるISUチャレンジャーシリーズのネーベルホルン杯で見事に優勝の栄冠を獲得したのです。
2018年は大きな大会である平昌オリンピックがありましたが、その大会の代表選考会である全日本選手権大会ではショートプログラムで転倒し7位と出遅れ、フリーではミスなく演技をこなし3位としましたが、総合5位で終わりオリンピックには出られませんでした。
そして現在は2018年全日本フィギュアスケート選手権大会が行われていますがそこに出場しています。
以上、三原舞依選手のこれまでのスケート歴を、駆け足でお伝えしました。
三原舞依の罹った病名は?
先ほども少し触れましたが、2015年に三原舞依選手は、難病である、「若年性突発性関節炎(若年性リウマチ)」という病気にかかってしまいました。
ここではその病気について詳しく調べてみたいと思います。
この難病名は若年性突発性関節炎だった?
この若年性突発性関節炎(若年性リウマチ)は、16歳未満の子供に起こる、関節炎の症状が6週間以上続く病気のことです。
突発性ということは原因が分からないことで、症状は間接に炎症(関節炎)が起き、関節が痛んだり腫れたり、赤くなって熱を持ったりして関節を動かしにくくなってしまう怖い病気です。
もしもこの病気にかかってしまった場合は、なるべく早く治療を受けることが大切です。
早めの治療を行えば、多くの患者さんは健康な人と同じように不自由なく生活や仕事ができる状態まで、回復することができるそうです。
しかし治療が遅れてしまうと炎症が続き関節自体が壊れてしまい、その機能を果たせなくなって、ひざの曲げ伸ばしが固まってしまい出来なくなることもあるそうです。
問診と関節の画像検査や血液検査などを行って診断し、炎症を抑えて関節を守るという治療が行われています。
またこの病気は症状から「全身型」「少関節炎型」「多関節炎型」の3つに分類できるとのことです。
一番多いのが「全身型」で日本人のおよそ40%を占める最も多い病型で、関節炎はあまり目立たず、発熱や皮疹など全身症状が強く出るそうです。
少関節炎型は、発症後6か月以内にひざや足など大きな関節で関節炎が1から4か所起きる病型ですが、時にぶどう膜炎という目の病気を合併することもあり、飛蚊症やまぶしく感じるような症状も現れる場合があるそうです。
多関節炎型は、上記同様ですが5か所以上の関節炎が起こる病歴だそうで、指などの小さな関節からひざや足など大きな関節でも見られ、左右同じ場所で起こる場合もあるとのことです。
いずれにしましても、この病気は難病指定されているだけあって、怖い病気ですから、特に若い人は注意が必要だと思います。
三原舞依は病気を克服した?
ここで再び三原舞依選手のことに戻りますが、果たして病気を克服できたのか、気になるところですね。
結果としては残念ながら完治したというわけではないようです。
これは難病指定されている通り、なかなか完治せず成人の時までもちこす割合が6割から8割と高い確率だそうです。
朝起きた時関節がいたいと思うときも時々あるそうですから、つらいことだと思います。
疲れや風邪などを引いたときにも、その症状が出てくることもあるそうで、厄介な病気だと思います。
しかし三原舞依選手はその後のいろいろな大会に出場し、がんばっている姿を私たちに見せてくれていますね。
やがていつかはこの厄介な病気も完治する時が来ると思いますが、それまでなんとか、フィギュアスケートを続けて欲しいと念願しています。
それが三原選手にとってはより精神的にも身体的にも強くなって、すばらしい活躍をしてくれるものだと確信しています。
全日本フィギュアスケート選手権大会へ向けて
さあ2018年もいよいよ押し詰まってきましたが、現在全日本フィギュアスケート選手権大会が開催されている最中ですね。
三原舞依は総合4位に終わる
ショートプログラムでは3位といういい位置についていましたが、つい先ほどフリーが行われ結果は、総合で220.80点の4位にとどまってしまったとのことです。
結果は4位ということで残念な試合でしたが、これからも難病を完治して、より一層素晴らしいスケートを私たちに見せて欲しいと念願しています。
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