2019年度のプロ野球は3月29日のセ・パ両リーグ同時開催でスタートします。
今年は春季キャンプ中からいろいろな話題がたくさんあって、毎日マスコミからの報道が盛んにおこなわれていました。
やはりその注目の的といえば、高校卒業からドラフトで入団してきた各選手たちの、活躍ぶりにあるような気がします。
その選手たちのオープン戦での出場機会が増えてくると共に、掲載される記事なども増えてきています。
果たして誰が一番最初に1軍で活躍できるか、話題になっています。
そんな中でも阪神タイガースは、監督が今年から変わりましたね。
金本知憲前監督から引き継いだのは、矢野燿大監督です。
阪神タイガースの現役時代は、名捕手として盤石な守備を誇ると共に打撃面でも活躍をしました。
ここからは阪神タイガースの復活に意欲を燃やす、矢野燿大監督について評価や成績などを中心にお伝えしたいと思います。
矢野燿大の監督評価は?
2019年度の阪神タイガースは「ブチ破れ!オレがやる」とのスローガンを掲げ、監督としての第一歩を踏み出しました。
チーム再建5か条ということで以下のように具体的に方針を打ち出しました。
①チームの勝利 ②勝利プラス1 ③喜怒哀楽 ④裏方への感謝 ⑤球団とも一体となったチーム作り という5つの項目ですが、より具体的な方針という気がします。
選手の自主性を尊重し、自分で考える野球を実践する、そしてそれによって相応の結果を出していくように求めています。
監督の評価ですが、これらを見ているとかなりの評価を得ている気がしますね。
それでは改めて矢野燿大新監督のプロフィールから見ていきたいと思います。
矢野燿大(やの あきひろ)さんは1968年(昭和43年)12月6日生まれで今年50歳になりました。
大阪府大阪市東住吉区の出身で、中日ドラゴンズと阪神タイガースで活躍された選手です。
小学校2年生の時から野球を始めたそうですが最初はショートを守っていたとのことです。
しかし所属チームの捕手の選手がけがをしたため、それからは捕手を務めたとのことです。
高校は大阪市立桜宮高校に進学し硬式野球部に入りましたが、1年生の時からすぐにレギュラーに抜擢をされました。
しかし高校生時代はあこがれの甲子園には出場できなかったそうです。
大学は東北福祉大学に進学しました。
第18回日米大学野球選手権にもメンバー入りを果たしました。
この東北福祉大学には同じ年齢の金本知憲選手も矢野選手の下級生として入学をしてきたそうですが、後には阪神タイガースの同僚となりました。
1990年のドラフト会議では、読売ジャイアンツと中日ドラゴンズから2位指名を受け、抽選の結果、中日が交渉権を得ました。
1991年のシーズンから中日で一軍の選手としてリーグ公式戦に出場しました。
中日では1991年から1997年まで7年間在籍しましたが、1997年のシーズンオフで阪神と中日の交換トレードという形で阪神タイガースに移籍をしました。
1998年阪神入団と同時に吉田義男監督から捕手のリード面で高評価を得て正捕手として指名され、その座を勝取りました。
5月26日には川尻投手との間で中日を相手に、ノーノー(ノーヒットノーラン)を達成するなどすぐに大活躍をしました。
以来2010年までの12年間阪神で正捕手として活躍してきましたが、同年の9月2日に右ひじの故障などで回復が見込めないことから、現役引退を申し入れ了承されました。
現役引退後はスポーツニッポンの専属野球評論家として就任し評論家活動が始まりました。
その後2018年には阪神の2軍監督に就任しましたが、若手選手の積極的な活用などにより、前年は最下位だったウエスタンリーグで8年ぶりになる優勝を成し遂げました。
しかもイースタン優勝チームと戦ったファーム選手権では見事に勝利を挙げファーム日本一にも輝きました。

矢野燿大の成績は期待できる?
今季から一軍の新監督という大役を仰せつかったわけですから、その両肩にはかなりのプレッシャーがかかっているのではないかと思います。
しかしまだ始まったばかりですのでその成果をすぐに求めることはある意味酷であると思っています。
プロ野球というのは結果だけが勝負となりますから、今季の秋になってどのような成果が出てくるか分かりますね。
昨年度の悔しい思いを今季は各選手たちが身を粉にして一生懸命に矢野新監督の元で頑張るものと思います。
大いに矢野燿大監督に期待したいと思っています。
矢野燿大と野村克也との出会いは?
その矢野燿大監督とプロ野球解説者でおなじみの野村克也さんには深い縁があるとのことです。
ここからはお二人の出会いなど過去にどのようなことがあったのかを見ていきたいと思います。
矢野燿大選手が阪神に在籍中だった1998年のシーズンオフに、それまでヤクルトの監督をしていた野村克也さんが、阪神の監督に就任しました。
翌1999年2月1日に行われた春季の安芸キャンプでの出会いが最初だったそうです。
その初日に野村監督はこう選手たちに言ったとのことです。
それは「例えば高橋由伸のような天才バッターは技術的な能力があるから3割打てる。しかしおまえらはせいぜい2割5分がいいところ。その差を埋めるとすれば、『頭を使う』しかないんや」との言葉でした。
この言葉を聞いて矢野選手はすごく新鮮に感じました。
野村監督が言葉の裏にほのめかしたこと、それは投手との対戦ということではなく捕手との対戦のことを意味していることが分かったからです。
いままで自分は相手のリードを読んで相手のキャッチャーとも勝負をしてきたわけであるが、それがすべて万事に於いて徹底ができたのか、それを問われたとき、そうではなかったと確信しました。
野村監督は続けてこう言います。
「100%キャッチャーと勝負せいや!」と根性を入れたのです。
不動の正捕手の座を手中にするためであれば、打撃でも今までと違う何かを変えねばならない。
しかも中途半端でなく、投手と勝負する感覚は一切捨てること、つまり相手の捕手との駆け引きを重点に置くことを心に決めました。
そのシーズンは後半戦でもコンスタントに打撃成績を残すことができ、シーズン終了時には打率0.304という好結果で締めくくることができたのです。
これらのいきさつを見ていて私が感じたこと、それはいかにチームの中で捕手という存在が大事であるか、よく言われる「キャッチャーは扇の要」であり、監督と同じような考えをしなければいけない、ということですね。
これは言葉でいうことは簡単ですが、いざ試合に臨んだ時にどこまでそれを実践できるかにかかってきます。
おそらく矢野選手は以後この野村監督から受けた言葉を、生涯忘れることなく実践してきたからこそ、今の自分が存在している、と感じたのではないかと思います。
一人の師と出会ったことで、その後の人生が大きく転換したわけですから、このエピソードは野球以外にも通用するのではないでしょうか。
ポイントは藤浪投手に自信をつけさせること
春季キャンプが終わった今、阪神タイガースの状況は、決して芳しいとは言えませんね。
特に投手陣では藤浪晋太郎投手の不調が大きく持ち上がっているようです。
大阪桐蔭高校生時代のあのダイナミックな投球は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。
プロに入ってからは特に右打者に対して投球が大きく外れてしまい、顔や頭付近にすっぽ抜ける投球が目立っています。
しかしそれを恐れるあまり腕が縮こまってしまい、投げる瞬間にまたぶつけてしまうかも、との恐怖感が出てしまうとのことを聞いたことがありました。
それが原因かどうか分かりませんが、矢野監督は藤浪投手を無期限で2軍調整を言い渡しましたね。
しかし、この処置に対して野球評論家の広岡達朗さんはこのように言って批判しています。
それは「藤浪投手は手を早く使いすぎる、早く投げようとして早く体が開いてしまう」と指摘しました。
さらに続けて「彼は素晴らしい素材であり、18勝あるいは19勝しないといけない投手ですが、その力を引き出せないのは教える側の責任です。投手の球は早い遅いがポイントではなく、いかに打者の手元で伸びるかにかかっています」
「今の藤浪投手は投げやすい投げ方で楽に放っているようで、これでは成長はない、いま必要な修正法は外野でノックを受けて、思い切りバックホームを繰り返して練習すること」
さらに「勢いをつけて体重が大きく前に乗っていく中、手が体から離れすぎても、早く動きすぎても強い球を遠くには投げられないから、自然と一番良い手の位置になる、体重移動しながら粘って粘って最後に腕がバッと出てくる」
つまり、腕の出所が相手打者に見えにくいはずでこれが投手にとっては理想形である、この形を体にたたきもむこと、それが大事な練習法であるということを話しておられました。
これを何度も何度も繰り返していくことで、自然に投球フォームがしっかりと確立されることを強調しているわけですね。
さすがにプロ野球を何十年も見続けてきている評論家ですので、この指摘は十分取り入れるだけの価値がありそうです。
投球フォームが確立できれば藤浪投手のスピードあるボールがより生きてきますから、自身をもって投球ができるようになると思います。
すこしでも藤浪投手が早く1軍にカンバックできるよう、私たち多くのタイガースファンも期待しています。
そのためには、やはり矢野新監督の采配にかかってくると思います。
今季にかける強い思いをぜひとも実現できるよう、陰から応援したいと思います。
頑張れ阪神タイガース! ガンバレ矢野燿大監督! 目指せ セリーグ優勝と日本一を!
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